平成17年6月

国の重要無形文化財伝承者であり、日本最古の瞽女ごぜといわれた小林ハルさんが百五才で逝った。彼女は生後1ヶ月で白内障を患い、光を失った。娘を憂える親から6才の時に瞽女の師匠のもとに送られ、三味線を習い、門付けを生業とした人だった。声を鍛えるために子供の時から寒風の河畔に立ち、血を吐きながら鍛えあげた声は、百才を過ぎても人を魅了した。一緒に旅をする仲間からいじめに遇い一人で山中に置去りにされたり、杖で突かれて一生癒えぬ傷を負ったりしたこともあるが、彼女の伝記を書いた下重暁子さんは「鋼の女」の中で、
「ハルさんを見ていると、美しいとは何かを考えさせられる。年を経るごとに輝く美しさとは、長い人生で蓄えられたものが滲みでてくることだ。最近はやりの自己表現など考えたこともなく、自分の運命を全て引き受けて決して他者のせいにせず、耐えに耐えながら唄ってきた。それが内側から螢の光のように滲んでくるのだ」
と言っている。

「人間は諦め一つ、諦めれば思うことはない」
「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修業」
と自分に言いきかせながら一生を旅してきたハルさんを支えたものは、幼時、「決して人を恨んではならない」と教えつづけた母の言葉だった。
闇の世界に住みながら、一本筋の通ったハルさんの生き方は、大きな存在感として迫ってくるものがあるが、それは彼女が明治の女として、何よりも「心」を大切にしてきた生き方の中から滲みでてくるもののように思われる。
平成17年5月

芦匡道あしきょうどう老師は明治期の高僧だが、晩年になっても、なお粗末な思い木綿布団にくるまって寝ていた。それをある人が見かねて、老師に絹布団を寄進した。老師は喜んでそれを受けとったが、その夜のことである。老師の身辺を世話する侍者が夜半にふと目をさますと、老師の居間から灯りがもれてくる。そっと気配をうかがうと、老師は深夜なのに袈裟ろ衣をつけて絹布団に向い、低い声で読経をしている。侍者は不審に思って読経の終わるのを待って尋ねると、老師は、いつもの静かな口調で、
「わしは、若い時から修業に出たので両親に十分なこともしてあげられなかった不孝者じゃ。このような柔らかい布団の上に一夜も親を寝せてあげたことがない。わしだけ寝てはすまんからな、親に先にやすんでもらおうと思ってな・・・。」
侍者が目を移すと、枕のあたりに、いつもは老師の居間の仏壇に祀られている両親の位牌の頂きがわずかに見えた。

5月8日は母の日、私のように亡母を思い出して、「さればとて石(墓石)に布団も着せられず」の思いをする人もいるだろう。常識的には墓に布団ほど無意味なことはないが、しかし、不可能に徹して親に感謝し懺悔しておれば、そこに親との声なき声での対話が開けてくる。その対話のあるところ、亡き親だけでなく、永遠なるものに見守れている自分が感じられ、そこから自分の生き方が顧りみられてくる。亡き親は住家を変えただけで、永遠に生きている。
平成17年4月

亡父の五十回忌をつとめた老爺が、法事の席で思い出を語ってくれた。その人の父は牛を飼うことが生き甲斐みたいな人で、可愛がりようも並ではなかった。夏などは夜中に二、三度起きて蚊やりを焚き直し、竹箒で牛小屋の中の蚊を追い出していた。その父は牛がまるまる太ってくると、市場に売りに行き、また新しい子牛を買ってきて育てるのだが、家に帰って「今日は高値で売れた」と満足そうに言いながら、どこか淋しそうでもあった。そんな日の父は家に帰るとすぐに仏壇に灯明をあげ、木魚をたたいて、しばらく念仏するのだった。「親父は金が儲かってよかったと喜ぶ反面、屠殺場へ引かれていく牛の姿を思って、やるせなかったのだと思います」と老爺は言った。

話を聞かせてもらって、「罪を重ねずには生きられない自分であることを忘れないように」という仏の言葉を思いだした。それを信機の教というが、それを忘れた時、人間には驕慢心という、おぞましい心がおこる。聖徳太子は「驕はこれ悪中の極なり」といって、人の世を滅ぼす元凶はこれだと指摘している。
「正義は我にあり、不正は彼にあり、故に他は征服さるべし」と思っておごりたかぶる心が驕慢心だが、個人の間の争いも、国家間の争いも、すべて、これが根本となって双方が滅んでいく。
牛を愛し育てて売った故人が、牛を売った日に仏壇に合掌せずにはおれなかった心を共有していきたいものだと、つくづく思った。
平成17年3月

白内障の手術を受けた知人が、劇的によく見えるようになったと話してくれた。それは、目の中のレンズが濁って視力が低下する病気だが、これを人工レンズに入れ代えると嘘のようによく見えるようになるらしい。それまで百足を紐と間違えてつかむほどだったので、ひどく嬉しかったが、一方では彼女はまたガックリきた。鏡に映る自分の顔の皺の多さに気づいたからである。それから彼女は、今まで気づかなかった部屋の汚れが急に目立って大掃除を始めたという。
何かを考えさせられる話で、有難く聞かせてもらった。
「汝自信を知れ」と故人は言っているが、心の目のレンズが濁っているので、これがむつかしい。鴨が心ない人に矢で射られてヨタヨタ歩いている姿が、いつぞやテレビで放映されたことがあったが、その人は「ひどいことする奴がいる」といいながら、自分は鴨鍋をつついていた。「近頃の鶏はナマクラになって朝も鳴かん」と鶏の悪口を言っていた老人は、自分の耳が遠くなっていることを忘れていた。ある寺の門前の掲示板に、「嘘きいて喜んで、本当きいて腹たてた」と書かれていたのが印象に残っているが、人間は愚かな生きものだから「愚者の自覚」を忘れないようにというのが仏の教えの土台である。これは、人間を馬鹿にせよという教えではなくて、「オレはこれで一人前」と思う心が人間の深化を妨げ救いのみ手にもれるようになるから、そう教えられているだけである。
肉の目の白内障は手術でなおるが、心の目の白内障は厄介だ。
平成17年2月

先日、結婚式に招かれて来賓の一人から素晴らしいテーブルスピーチを聞かせてもらった。それは要約すれば「二人はこれから良い夫、良い妻になろうなどと考える必要はない。悪い夫、悪い妻になるまいと気をつけておればよい」というものであった。夫婦の門出に贈る言葉として適切な言葉だと深く感銘した。
これは自然の摂理にかなった考えであり、仏の教えもそうなっている。池の中に石を投げると波紋ができるが、それは小さな波紋から始まって次第に大きくなり、その逆は決してない。悪事を止めるという小さな波紋なくして善事を為すという大きな波紋が描けるはずがない。往事の名コラムニスト・山本夏彦氏に「人生は小事よりなる」という佳言があるが、人間の機微をついた名言だろう。
最近は健康ブームで、いろんな健康法がはやっているが、健康によいと思うものより、健康に悪いと思うものを止める方が先決。人に好かれようと考えるのは邪道で、人に嫌われないためにはどうしたらいいかと考える方が理にかなっている。「勝つと思うな 思えば負ける」と村田英雄さんは名調子で歌っていたが、人に勝とうと思ったら負ける。負けないようにと考えて努力すればいい。
自分も人生の日暮が近づいて思うことは、仏法を弘めるなどという大それた考えは捨てて、仏法が弘まるうえでの邪魔だけはしてはならないと考える昨今。それがまたむつかしいことで、悪事は為し易く、善事は為し難い。
平成17年1月

釈尊のみ弟子に宝間比丘という人がいました。ある時、彼は釈尊のところに行って、「私が一生の座右の銘とすべき言葉を教えて下さい」と頼みました。すると釈尊は、ただ一言、「汝、盗むなかれ」という一句を授けられた。
そこで彼は困った。いくら考えても今まで人のものを盗った覚えがないからです。そこで必死に考えているうちに、ハッと気づいた。
この自分は自分のものと考えているけど、時がくれば嫌でも手放していかねばならない。と、いうことは、この自分は自分のものではなかったのだ、佛さまからの借りものだったのだ、預りものだったのだ。釈尊が常に「無我たれ」と説いておられることは、そのことを常に忘れてはいけないということだったのだ。そのことを忘れていた自分は、やはり盗みをしていたのだと気づいたのです。
昔流にいえば正月がきて、お互いに年をひとつとりました。これを自分が年をとると考えたら盗んだことになるが、佛さまから一時預りしている自分が年をとると考えられたら、これは仏意にかなう考えになる。無我なる考えになる。自分の身体なら、どんなに粗末にしても構わないが、これは預りものだから大事にせねば佛に申訳ない。
預りもののこの命、自愛してよき一年でありたいものです。

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