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小学校の頃の僕は弱い子を見ると、いじめるという悪い癖があった。たまたま僕のクラスに東京から越してきた子で、右足が短いため歩行困難な男の子がいた。その子を僕等四、五人のいじめっ子たちは“びっこ””ピョコタン”と呼んでいじめていた。ある日、そのことで僕は彼を泣かせてしまった。次の日から彼は学校に来ないようになった。それから間もなくして僕等いじめっ子達は職員室に呼ばれた。担任の女の先生から、これから彼の家に行って「謝りに来ました。この前はかんべんな」と言って皆で頭を下げてくるように命令され、謝ったらまた学校まで報告にくるように念をおされた。
彼の家は部落の外れで、窓には筵がかけられてあり、子供ごごろにも一見して貧しさがわかるような家だった。僕等は怒られるだろうとビクビクしながら入るのをためらったが、先生から言われた通り僕が代表で大きな声で「謝りにきました」と言うと、しばらくして破れた障子の玄関の引き戸をゴトゴトさせて、中から母親が出てきた。僕達はもう一度「謝りにきました。この前はかんべんしてな」といって全員で頭を下げると、彼の母親は怒るどころかニコニコしながら、「わざわざ謝りにきてくれたの、ちょっと待ってね」と言って家の中に入り、すぐに何かを持って出てきた。「わざわざ謝りにきてくれたの。本当は良い友達なんだね。これから仲良くしてやってね」と言いながら、僕達一人一人に鉛筆二本ずつとチューインガムをくれた。僕等はひどく嬉しくなってガムをグチャグチャやりながら、職員室に戻っていった。先生はきちんと椅子に座って僕達を待っていた。そして口をモグモグやっている僕等を見て、「お母さんからもらったの?叱られなかったの?」と言って皆が頷くのを見ると、ハンカチを取り出して目頭を押さえているのだった。僕等は先生が何故そうするのか良くわからなかった。「家に帰ったら全部お母さんに話しなさい」という事で、先生にも叱られず、全員それぞれ家に帰った。僕も家に帰ってガムをもらった訳を話すと、母は「偉いかあちゃんだ、なかなか真似はできない」と言って、先生よりも激しく被っていた手拭で顔を覆って激しく泣きはじめたのである。なぜ母が泣くのかよくわからなかったが、とにかく僕が非常に悪い事をしたような気持ちになって、僕も激しく母と一緒に泣いてしまったのである。そして泣きながら、もう二度とあの子を苛めるのは止めようと強く心に刻みつけたのである。 |
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| 上は潮文社刊「心に残るとっておきの話」の中に収録されているある男性の一文の要約である。小言ひとつも言わずにいじめっ子に鉛筆と菓子を与えたあの子の母、わが子の過ちを知って顔を覆って泣いた母、二人の母のやるせない心は、いつまでも世を照らす灯となっていくに違いない。 |
| (閑院) |
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