平成19年 7月9日 NO.242
日本人の親子(その41)
 外出先で仕事を終えた私は、急に空腹を覚えて近くの大衆食堂に入った。斜め向いのテーブルには若い母親がと五歳ぐらいの女の子が座っていて、注文の品がくるのを待っていた。やがて運ばれてきたのは値段の高そうな天婦羅定食だった。
 ちょうどその時、食堂の戸が開いて異様な風体の親子連れが入ってきた。父は顔中ボウボウと髭だらけ、着ているものもボロボロだった。後からついてきた五歳ぐらいの男の子は大きな大人の背広を着て、荒縄で腰のあたりをくくっていた。親子とも、見ただけでプーンと匂いそうな感じだった。
 「何を食べるの」
 女店員が、まるで怒ったような大きな声で尋ねた。子供は黒い顔で白い眼を光らせているだけだったし、父親はアル中か中風なのか、かすかに全身をふるわせているだけだった。
 「あんたら、何しにきたのさ」
 その声に引きずられるように、父親がモソモソと長い時間をかけてポケットから何かを出してテーブルの上に置いた。20円だった。
 「おかみさん、この人達へんなんですから」
 女店員のすっとん狂な声で奥から出てきたのは丸顔の四十がらみのおかみだった。
 「よっちゃん、そんな大きな声を出したら駄目よ」
 おかみは店員をたしなめながら、素早く状況を察知したようだった。
 「分ったわ、おなか空いているんでしょ。ちょっと待ってね、何か持ってくるから」
 そうして持ってきたのは山盛のご飯の上に煮付けたイカの足をのせ汁をかけた、不思議なメシであった。二人分の丼を置くと、おかみは店員を促して奥へ消えた。それと同時に父親はガツガツと食べはじめた。しかし男の子は箸をとらず、じっと女の子の天婦羅定食を見つめているだけだった。その時だった。
 少女が自分の海老の天婦羅を一つつまんで男の子の皿の上にのせに行ったのである。男の子は待っていたように、それを手でつまんで食べはじめた。女の子はつづいてもう一つ、自分のものを持っていった。
 すると母親は急に愛しそうに、わが子の頭を抱えて頬ずりした。そして母親はソッと自分の天婦羅をわが子の皿にのせ、残りの白いご飯を急いで食べた。

 以上は潮文社「心に残るとっておきの話」にある実話である。筆者は一文の終りに、「私は母子の横顔に見惚れていた」と書いているが、私もまた一幅の名画をみるような思いで、その情景を想像した。教育問題が問われている昨今だが、すぐれた評論家で今は故人となられた亀井勝一郎氏は、「教育の目的は他人ひとの悲しみがわかるような人を育てるところにある」といっていたのを思いだす。
 「惻隠そくいんじょう」(いたわしく思うこと)を何よりも至上のものとしてきた日本武士道の精神が、まだ幼い子供の中に生きていることを知って、うれしく思った。
(閑院)

(げんじせ)
 布施は施しをすることであるが、それはカタチあるものだけとは限らない。言辞施とは言葉のお布施であるが、このカタチのない布施がカタチあるものよりも大きな力を発揮することがある。「舌剣人を殺す」といって言葉で人を殺すこともできるし、「愛語よく回天の奇跡を生ず」といって、死にかけている者を生き返らせるような力を発揮することもある。「ハイ」「ありがとう」「すみません」「お早う」「今日は」などは、もっとも大事な言辞施である。

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