平成19年 3月12日 NO.240
日本人の親子(その39)
 潮文社「心に残るとっておきの話」に愛知県M高校3年生A君の作文が収録されている。
下は「僕の父は鳶職である・・・」という書き出しから始まっており、下はその要約である。

 「父は雨の日以外は定まりの作業服にオンボロ車で仕事に出かける。仕事は終ると泥で真っ黒になった衣服を脱ぎ捨てて風呂に飛び込むのが日課である。時々、友だちがいても平気で「よっ」と言うと裸になって行くのである。そんな時の父の姿は恥ずかしくて一番嫌いだった。小学校の頃、日曜になると近所の友達は、決まって両親に連れられて買い物や食事に楽しそうに出かけていく。はしゃぎまわって出かける友達の後ろ姿をじっと見つめながら「みんな立派なお父さんがいていいなぁ」と寂しく涙がポロポロ流れたことが何度もあった。・・・たまの休みは、父は朝から焼酎を飲みながらテレビの前に座っていた。すると母が「掃除の邪魔だからどいてよ」t掃除機で追い払う。すると父は、「そんなに邪魔にするなよ」と焼酎瓶を片手にウロウロしている。「たまには子供と一緒に何かしたら」と母は言うが、僕は「一人の方がいいよ」と言って、父を軽蔑の目でにらみつけてしまう。父も「お前と俺はウマが合わないから、遊んでほしくなんかないわな」と言う。・・・
ところがある日、僕は私用で名古屋に行った。ふと気づくと高層ビルの建築現場に“○○建設”と父の勤める会社の文字が目に入った。これが親父の会社か。僕は足を止めてしばらく眺めるともなく見ていて驚いた。8階の最高層に近いあたりで、命綱に体を縛りつけて懸命に働いている父の姿を発見したのである。僕は金縛りにあったようにその場に立ちすくんでしまった。あの飲み助の父が、あんな危険なところで仕事をしている。一つ違えれば下は地獄だ。女房や子供に馬鹿にされながら反発もせず、ヘラヘラ笑って返すあの父がー。僕は絶句して体が震えてきた。8階で働いている米粒ほどにしか見えない父の姿が仁王さんのような巨像にみえてきた。僕はなんと言う不潔な目で父を見ていたのか。僕は不覚にも涙が流れた。体を張って命をかけて僕らを育ててくれている。何一つ文句らしいことも言わずに、たった一杯の焼酎を楽しみに黙々と働く父の姿の偉大さ。どこの誰よりも男らしい父を、僕はこの目で確認し、たくましい父のこの姿を脳裏に刻んでおこう。素晴らしい父を尊敬し、その子供であったことを誇りに思う。・・・一生懸命勉強して一流校に入学し、一流企業に就職して、日曜祭日には女房子供をつれて一流レストランで食事をするのが夢だったが、今日限りこんな夢は捨てる。これから親父のように汗と油と泥にまみれて、自分の腕で、自分でぶつかって行ける。そして黙して語らぬ親父の生き様こそ本当の男の生き方であり、僕も親父の後を継ぐんだ。
(閑院)

他の幸せのためにする施しをいう。金銭や物品を施すのは「財施」。自分が知っている価値あるもの(特に仏法)を人に伝えるのは「法施」、「ハイ、ありがとう」「すみません」等は言葉の布施で「言辞施」、人がとり乱して脱いだ履物など黙ってそろえてあげるのは「捨身施」、相手の気持ちをおしはかってあげるのは「心慮施」等々、世の中は布施と布施との施しあいで保たれているといっても過言ではあるまい。

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