平成18年 12月20日 NO.239
日本人の親子(その38)
 老舗の天ぷら屋の長男に生まれた彼は22才の時から親父に本格的に鍛えられた。
初めの1年間は、来る日も来る日も豆腐ばかり切らされた。それがすむとコンニャク。これがまた1年間。それができるようになったら、じゃ刺身を切ってみろとなった・親父は決して、あゝしろ、こうしろとは教えてくれなかった。だから親父が切っていくのを見て、からだで覚えていくしかない。
 こうして本命の天ぷらを揚げさせてもらえるようになったのは、それから5年経ってから。揚げてみろといわれて勇んでやるのだが、子供のころ遊び半分で揚げていたのと違って、ぜんぜん天ぷらにならない。第一、エビにコロモが付かない。何度やっても空揚げになってしまう。父は違うというだけで何も教えてくれない。仕方ないから父がコロモを作るところから、そばでじっと見ているだけ。そのうち小麦粉と卵と水を、このくらいの比率で混ぜるのだな、とわかってくる。その混ぜかたも、だらだらではなく、さっ、と瞬間的にやらなくてはならない。そうやって作ったコロモを手早くエビいからませ油に入れる。それを覚えて身につけるのにまた5年かかった。
 そうして彼の揚げた天ぷらがようやく客の前に出されるようになったのは、10年以上も経ってからだった。

 これは東京・新橋に江戸時代から続く天ぷらの老舗「橋善」の常務取締役・橋本欣也氏の述懐である。老舗の味というのはこうして守られていくのかと精進のすごさを感じさせられた。
剣道で修業上の段階を示すのに使われるものとして「守破離三十年」という言葉がある。「守」とは師匠の教えを確実に身につける段階である。「破」とは他の師匠の教えを研究し、よう方向へ発展しようとする段階。そして特定の派から離れて独自の段階にすすむのが「離」。
 欣也氏の進んだ道も、この守破離三十年の軌跡がうかがえる。剣の道も料理の道も、何の道もそれを極めようとすれば同じ軌跡を描くようだ。
 欣也氏は現在58才。いはば「離」の段階を迎えている最中の氏の言葉が意味深長だった。
 「材料や技術の勉強をしてきたつもりだけど、エビも小麦粉も卵も油も、いつの間にか父が使っていたのと同じ材料に戻っている。父を越えようとあがいているうちに、血tのところに帰ってきてしまったのです。きっと親父も先代を越えてやろうと思って、あれこれやっていたら、気づいてみると元へ戻っていたんじゃないでしょうか」
 その元とは、つまり老舗の原点の味のことだろう。親は子の原点である。子は親を越えようと逆らうものだが、ふと気づいたら親にどこかが似ている自分に気づく。親のふるまいが子の運命を決定する。
(閑院)

 禅の道場の玄関などでよく見られる四文字。「足もとをしっかり見よ」ということで、履き物をだらしなく脱ぎっぱなしにするようでは、禅の修行どころか、何をやってもモノにはならぬぞ、というわけだ。理想のみ追い求めて現実を忘れ、知識のみに走って実践をおろそかにしがちな人間に対する痛烈な戒めである。「いじめ」で子供に自殺者がでると「命を大切に」という言葉が聞かれるが、モノにも命があるのだから、それも考えなくては足元をよく見てないことになる。

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