平成17年 8月 9日 NO.230
日本人の親子(その29)
 彼は市役所の課長である。あと1ヵ月で30年間無欠勤の記録をつくるはずだった。しかし胃の痛みに耐えきれず、仕事をやすんで病院に行った。末期のガンだった。余命3、4ヵ月・・・。茫然自失。外へ出ても、行き交う車の騒音が耳に入らないほどの態で帰宅した。
 こんな時、まず頼りにするのは家族である。彼は妻と早く死別し、男手一つで子を育ててきた。その息子も今は結婚し、同居している。日が暮れても息子は帰ってこなかった。夫婦で映画にでも行っているのだろう。やがて息子夫婦は楽しそうに語らいながら帰ってきた。しかし家に明りはついていない。
「お父さん、留守なのかしら。あー寒い。家の中も表も同じだわ。だから日本の家ってイヤなのね」
「外で遊んできても家に帰ると幻滅だな。もっと近代的な家が欲しい」
「ねえ、私たち二人で住む家だったら四、五十万もあれば建つんでしょう。お父さんの退職金を担保にすれば何とかなるんでしょ」
「親父の退職金が、六、七十万。あとは恩給だが、それに貯金も多少はあるはずだ」
「でもお父さん、承知するかしら」
「承知しなければ別々に暮そうと切りだすんだね。それが親父に一番効くよ。親父だって退職金や貯金を墓の中まで持っていく気はないだろう」
「フフフ・・・」
 二人は笑いあって部屋の電灯をつけた。すると誰もいないはずの暗闇に父親が、うずくまっているではないか。
「どうしたんです、お父さん」 息子は驚いて声をかける。彼はしばらく黙っていたが、
「何でもない、何でもない」とつぶやきながら部屋を出ていってしまう。
「用事があったら言えばいいのに。いい年をして、ふてくされることないよ」
息子も面白くない。
「ねえ、イヤよ、そんな怖い顔。お父さんのことはもうたくさん。お父さんはお父さん、私たちは私たち」
嫁は息子に抱きつく。
 寒々とした家の中で、ただ息子の帰りを待っていた父。自分の気持ちをわかってくれるのは息子のみ、とすがるような思いだったに違いない。しかし、夫婦のことしか頭にない息子には何も言えなかった。一階の自室で暗い心におびえる父。二階の息子の部屋からはレコードの音が聞こえてくる。明るいテンポの音楽が、より一層、彼の心を孤独にしていく。亡き妻の写真を見つめていると、この二十数年間のできごとが次々に脳裏に浮かんでくる。

 妻の葬儀の日、霊柩車を見つめて「お母さんがいっちゃうよ」と泣いていた幼い息子。それを見て「この子に寂しい思いをさせてはならない。この子のために生きよう」と深く心に刻んだ日のこと。
「子供なんて一人前になってみろ。親の思うほど、親のことなんか考えてくれやしないよ。嫁でももらってみろ。煙ったがられるだけさ。だから少しは年をとった時のことも考えて、今のうちにいい連れ合いをもらっておけよ」と、再婚を勧められて断りつづけたこと。野球の試合に出た息子を、観客席から、じっと見守っていた夏の日。息子が入院した日のこと等・・・。親として子に恩を売る気はないが、このむなしさを、どうすればいいのだろうか。子供が病めば、親は自分が病む以上に心配する。しかし、親が末期ガンでやせ細っているのに、子供は気づいてくれない。父は心の中で息子の名を呼び続ける。返事がなくても、呼ばずにはおれない。耐えきれず、父は蒲団にもぐりこんで泣くしかなかった。
これは、黒沢明監督の映画「生きる」の荒筋である。映画は最後に「二十五年間無欠勤」の表彰状を、アップで映し出す。痛烈な皮肉だが、しかし、誰も笑えない。

先日、ビデオ・ショップで「生きる」を借りてきて改めて鑑賞してみました。古い映画ですが、色あせることなく、心に迫るものがありました。映画を見終って、改めて「人は何のために生きているのか」という人間の永遠の問題について考えずにはおられませんでした。平穏無事に毎日が過ぎている時は、考えもしない問題ですが、ここ一番と言う時には、ご飯を食べるよりも切実な問題になりうるだろうという気がしました。
(住職)

四苦八苦の第一は生苦。第二は老苦。第三は病苦。第四は死苦。これで四苦だが、これに次の四ツが加わって八苦となる。第一は愛別離苦あいべつりく。第二は怨憎会苦おんぞうえく。これは気に入らぬ者とも顔を会わせていかねばならぬ苦しみ。第三は求不得苦ぐふとつく。これは欲しいものが手に入れられない苦しみ。第四は五蘊盛苦ごうんじょうく。これは元気なために受けねばならぬ苦しみ。銀行強盗をやるのはみな元気な者がやるので、年寄はこの苦は受けない。

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