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幕末の思想家・吉田松陰は長州藩の貧しい家に生れ、二十二才の時、遊学の旅に出る。この時、母は子に多額の旅費を渡した。貧乏な家にそんな金あるはずはないので、子は驚いた。子の万一の時のために、母が苦心してためた金だった。親心で実現した遊学が、松陰の人生を大きく変えた。
松陰が江戸に滞在中、黒船が浦賀にきた。世界の情勢を学ぶことが急務と考えた松陰は、アメリカへ密航を企て、捕らえられて牢獄に入った。やがて出獄を許され謹慎を命じられたが、ここで塾を開き青少年の育成に当った。これが「松下村塾」である。母は貧乏な塾生たちのために自分は食わずに食を与えつづけた。松陰が門下生の心をつかみ、幕末に活躍する人材を育てることができた背景には、この母の惜しみない影の力があったのである。
その塾生たちの動きに不穏な空気があると睨んだ幕府は、松陰を再逮捕して江戸に送った。母は松陰が江戸へ発つ前日、風呂場で背中を流してやった。「無事に帰れるといいが」と心配する母に、「大丈夫ですよ」と慰める松陰であった。
それから5ヶ月後、松陰は江戸で刑場の露と消えた。29才であった。その連絡が20日後に母のところに来たが、その時、母はすでに子の刑死を知っていた。それはちょうど20日前のこと、母が疲れてうたた寝をしていると、松陰が
「お母さん、ただいま戻りました」
と帰ってきたのである。母が「松陰ー」と声をかけようとすると夢がさめた。それは松陰は刑死した20日前の同じ時刻だった。
「親思う心にまさる親心 今日のおとずれ何ときくらん」
これは処刑1週間前に松陰が詠んだ歌である。
神仏と心が通いあうことを感応道交というが、それは人間同志の間でもいえることである。松陰の母が子の死を知っていたのは、まさに感応道交の世界だろう。戦地に行っているはずの夫が急に帰ってきた夢をみた妻が、そのことを日記に書いていたら、後日きた戦死の公報と、日付と時間が一致していた例もある。江戸時代の漢方医が古い薬草学の本を読んでいたが、肝心の文字のところが虫に喰われてわからない。毎日、知りたい、知りたいと熱望していたら、ある夜の夢の中に、白髪の老人が現れて、不明の文字を教えてくれたという話もある。
浄土宗は法然上人と善導大師の感応道交によって開宗された宗教である。お二人の間には五百年の歳月の隔たりがあるので会えるはずはないのだが、会いたい、会いたいと思う法然上人の熱意が、ついに夢の中の出会いとなって、法然上人は自分の信仰を確立することができたのである。
やはり人智では、おし量れないような領域がこの世にはあるようだ。 |
| (住職) |
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