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子供のころの思い出で忘れがたいのは、母に無断でガラス玉を買った時のことである。事のおこりは友達にすすめられて母に無断で買ったのである。ガラス玉は昔のお金で二銭であった。私自身は悪いことだとも思わずにいたのだが、母は無断で金を持出したことに私をきびしくたしなめた。
「欲しいもの、必要なものは買ってあげてるはずや 無断で金を持出すのはおそろしいことです。よう考えてみなされ」
ガラス玉を母は取上げて仏壇におき、
「お前さんも仏さまにおわびしなされ。だまって人のものをつかうことを、これからいたしません。おわびしなされ!」
今考えれば、何だ、こんなことかと思う人もあろうけれど、その日の私にとっては思いもかけぬ大事件であった。
「あんたさんもここへきておすわり!」
母は一言そう言ったきり仏壇の前にすわり、般若心経をとなえなじめていた。私は不思議にそこから金しばりにあった人間のように釘づけになり、母のうしろで小さく座った。

現代の子供から考えれば馬鹿げたほどの事柄であろうが、私はあの日のことを考えると今でも身がすくみ「罪の重さ」をしみじみとおもうだすことができる。あの日の母の年令をはるかに越えているのに「正しく生きることへの自覚」の目ざめになった記憶が今も新鮮によみがえる。ガラス玉を買ったことを、母はどこで誰に教えられてきたのか私についにきくこともなかったけれど、
「目に見えぬのが見えるようにならんといけません。この目ではなく心の目ですのや」
若い反抗期の私に、母の言葉がどれ程しみとおる力をもっていたかは、はかりしれないけど、私には折にふれて母がたちあらわれる。
ある日は煮えかえるような怒りにされわれ、人をうらんで見たくなることもあったけれど、不思議に立ち直らせてくれるのは、「護られていますのや。苦労も大きなおさずけや」といって、決して人をうらむことをしなかった母が立ち現れてくるのは不思議である。母の「ものさし」は直でゆたかであった。私は母が仏壇の前に座っていた日の年をすでに過ぎたのに「人生の目ざめ」は新しい。 |
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上は歌人・生田たつゑさんの文で、在家仏教(昭和58年1月号)所収の「母がひらいてくれた目」から住職が要約したものです。歌人は「正しく生きることへの自覚」の目ざめが仏壇の前ではじまったことと言っています。仏壇は死んだ人をとじこめておく所ではなく、生きた人間が導かれるためにあるのです。だから分家などでまだ仏壇のない人でも、仏像やお絵像はお部屋におまつりして、親が合掌する姿を子にみせることが、何よりの子に対する無言の教育になるのだと思います。 |
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| (住職) |
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