平成16年4月1日 NO.221
日本人の親子 (その20)
 芦匡道老師は明治期に臨済宗本山・妙心寺の管長になった高僧です。老師は質素な生活を旨としており、八十才の高齢になっても、若い頃から使用していた粗末な重い木綿布団にくるまって寝ていた。それを見かねたある人が、老師に絹布の立派な夜具を寄進した。老師は喜んでそれを受け取った。
 その夜のことである。老師の世話係の若い僧が夜半に目を覚すと、老師の部屋から灯りがもれてくる。そっと気配を伺うと、老師は深夜なのに袈裟をつけて目の前のふとんに向って低い声で読経している。不審に思った若い僧は、読経の声の止むのを待って、その理由を尋ねた。すると老師は、いつもの静かな口調で、
「私のために迷惑をかけてすまなかった。実は今晩からこのふとんに寝ることになって思い出すのは両親のことじゃ。わしは若い時から修行に出たので両親に何もしてあげられなかった親不孝者よ。わが家は貧乏でな、親はこんな立派なふとんに臥たことなど一度もない。わしだけが臥てすまんから、まず両親に先にやすんでもらおうと思ってな・・・」
と老師の声はそこで消えた。
 若い僧は目を移すと、枕のあたりに老師の居間の内仏壇に祀られていた両親の位牌の頂きが、わずかに見えた。
 後でこの若い僧は
「老師が絹布のふとんの寄進をあのように感謝してお受けになったには、ご自分よりもご両親に寝んでいただけるのが何よりのお喜びだったのではないか」
と人に語っている。

「私は親に十分なことをしてあげたから、思い残すことは何もない」と言う人が、たまにはいます。だが多くの人は、「もっとしてあげたかったけど、してあげられなかった」と、心のどこかに負い目を抱いて生きているのではないでしょうか。そんな人たちにとって「墓石にふとんは着せられない」という言葉は、しみじみうなずくものがあるのではないかと思われる。
でも、宗教行為というのは、不可能を不可能と知りつつ、墓石にふとんを着せようとするものです。かつての戦死した息子さんの命日に、必ず金平糖のお供えをもって寺におまいりにくるお婆さんがいました。いつも同じものなので、ある時、私がそのわけを聞いたら、
「息子が死ぬ時。『金平糖が食いてえー』といいながら息をひきとったので・・・」
と、答えてくれました。

老師は両親に、ふとんに先に寝て下さいと願うことで、又、お婆ちゃんは息子さんに金平糖をお供えすることで、墓石にふとんを着せていたのです。不可能と知りつつ墓石にふとんを着せていると、死者との対話ができるような気になります。死者との声なき声の対話・・・これが何よりの供養ではないかと思います。
(住職)


親が先に死んで子が後に残るのが一番幸せなことで、ものごとが順序よく運ぶことを順縁という。反対に子が先に死んで親が後に残り、親が子の弔いをしなければならぬようなことは不幸なことで、これを逆縁という。その逆縁に慈悲という言葉がつけられるのは、人間は逆縁に遇うことで、今までの迷いが破られ、はじめて目覚めることがあるからである逆縁を「如来のご試練」と受けとれるかどうかが、人生の分れ道だろう。

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