平成16年3月1日 NO.220
日本人の親子 (その19)
 江戸末期の彫刻家として名高い浜野矩随の子供である二代目矩随は、十二の時、父を失ってからは他の師匠について修行していましたが、生まれつき不器用で技術は少しもあがらず、その作品はひとつも売れなかった。その頃、母が病に倒れてしまったので、なんとかその薬代をかせぎたいと思い、数日間、仕事場にこもって、ひとつの作品を彫りあげた。そしてそれを持って、父の代から出入りしている万屋新兵衛の店へ行った。新兵衛は、その作品をしばらく眺めていたが、
「これは何を彫ったのですか」とたずねた。
「狸が坐禅をしているところです」
すると新兵衛は溜息をついて、
「あなたは名人矩随の二代目を名乗りながら、これはまたなんという出来そこないですか。狸だか狐だか、その見分けさえできない。あなたは、いっそ彫刻などやめてしまった方が親孝行というものですよ」
ときびしい意見をした。彼はすっかり自信をなくして自殺するつもりで家に帰ってきた。
 
 寝ていた母は、その様子をみて、「お前は死ぬ気なんだね」と聞いた。
枕に身を支えて自分を見つめている母に嘘もつけず、今日の新兵衛の噺を伝えると、母はきっとして言った。
「わかりました。立派に死になさい。私が見届けてあげましょう。しかし、この母への形見として、一体の観音様を彫って下さい。たのみましたよ」

 彼はすぐさま仕事場にこもり、母への形見として寝食を忘れて三日三晩彫りつづけた。
そしてやっと完成したので母に見せると、母はにっこり笑って、
「さあ、これを万屋さんへ持っていって、五十両でひきとってもらいなさい。五十両に一文欠けてもわたしてはなりませんよ」

観音様をとりあげると新兵衛は驚いて、
「これはすばらしい。私は先代の作ならたいてい知っているが、まだ、こんなものが残っていましたか」と聞いた。それで彼は自分の作品だと言うと、
「えっ、お前さんのだって、からかっちゃいけないよ」といって本気にしない。
それで母への形見として彫ったことを言うと、新兵衛は深くうなずいて、
「わかりました。五十両でお引き受けします。これは五十両でも安いくらいのものです。一心こめれば、こんな素晴らしいものができるではないですか」といってほめた。
矩随はその後、修行を重ね、父におとらぬ名工として名をあげた。
「立派に死になさい。私が見届けてあげます」という母の一言が、眠っていた子の才能を目覚めさせた。獅子は吾子を谷底に突き落として吾子を鍛えるという。二代目矩随の母は獅子だったのだ。
こうした形の親の愛が、今、一番欠けているのではなかろうか。
(住職)


梵語クシャナの音写。極めて短い時間のことを言い、正確には1秒の75分の1を一刹那という。釈尊は時間は連続するものではなく、素粒子のようなものから成っていると考えておられた。その時間の素粒子に相当するのが「刹那」といわれるもので、一刹那間に生れ、滅びがあると考えられ、これを刹那生滅、刹那無常という。現代の医学は人体が極めて短い時間に生滅をくり返していることを突きとめているが、釈尊は2500年前にこのような事実をすでに直観によって見通されていたのである。
去る2月7日、400年前に沖縄にお念仏をお伝えくださった袋中上人の慶讃法要が、参加者3000人のもと盛大に行われました。元祖法然上人さまのお広めくださったお念仏の輪が、全国・世界に広がっていることが感じられ、有意義な法要でした。

那覇市内を行脚

4000人参集の大法要

全国より集まりし念仏旗
いつもお世話になります。
平成14年秋に、信行会館が落慶してから早一年以上が過ぎました。
その間、檀信徒の皆さま方には変わらぬご支援を賜り、厚くお礼を申し上げます。これからも平成17年秋まで、まだまだ銀行よりの借入金約1300万円余を返済していかねばなりません。これは分割納入をお約束して下さっている方々が、ご予定通りご納金を下さった場合、なんとか返済できるぎりぎりの金額でございます。
つきましては、来る平成16年春彼岸中日が第7回目の募財お願いの日になっております。出費ご多端の折、誠にすみませんが、分割ご納金ご予定の皆さまには、よろしくお願い申し上げます。  合掌
建築委員会代表 有長秀幸
会館建築会計中間報告

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