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家康の四天王の一人であった本多忠勝は、家老に
「忠政は長男であるから跡目相続のことは公儀の計らい通りにすればよい。ただ、自分が貯えてきた1万5千両は、次男の忠朝に与えるように。忠朝は小身で何の身分の保障もないから」という、遺言を残して死んだ。
家老は忠勝の死後、その遺言を忠政に示すと、忠政は激怒して言った。
「父上の跡目をつぐのは長男の自分に決っている。それをなぜ公儀の計らいを受けねばならないのか。父の財産はすべて自分のものなのに、1万5千両もの大金を忠朝に与えるとは、もってのほか。たとえ父の遺言といえども、非理は非理。余はこれを用いぬぞ」といい張ってきかない。
家老は困って忠朝のところへ行き、遺言を示して事情を説明した。
すると忠朝は、
「兄の言う通りだ。自分は小身、金は少なくてすむ。だが兄は多数の家臣を養い、金も莫大にいるはずだ。金はすべて兄上に渡してくれ。もともと余は次男なのだから、財産を受ける資格はないのだ。」と淡々として言った。
これを伝えきいた忠政は、弟の清く正直な態度に深く恥じ入ったということである。
親は力のある子を頼もしく思い、非力な子を不憫に思う。これはいつの世にも共通した親の心である。その親の心は仏の心と同じで、法然上人が「善人なおもて往生す、いはんや悪人をや」ともうされたのは、これである。その仏のような親心が、この場合、父に不公平な遺言を書かせたのである。その親心がわからない長男は、これを理不尽と激怒した。これは現代でも、いたるところに散見できる問題である。
血肉を分けた兄弟の間でも、金銭の問題で仇敵のように睨みあう問題になることがある。悲しい人間の性である。人間は金銭に縛りつけられた日暮らしをしているということは否めない。だが、そのように縛りつけられていることが、いいことではないことは皆、知っている。だから金を盗ったり、汚職をして私腹を肥したり、金の問題で節操を売って人にこびへつらったりする人を見ると、心の中で軽蔑する。だが軽蔑しながらも、いざとなると五十歩百歩のことをしている自分を発見して、自分が自分でいやになるような思いをした経験のない人は、少なくないのではなかろうか。そんな時、金銭に執着するのは人間の本能で、自分だけではない、人も同じなのだと思って自分をなぐさめているわけだが、このエピソードは、それは人間の本能ではなく、ただ単に自分に潔く生きようとする勇気がないだけなのだという事実を、この私にきびしく問いかけてくれるように思うのだが、どうだろうか。 |
| (住職) |
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