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いい話ではなかろうか。
父は主税の小手先の技術の見事さを喜ばず、罪なき者を平気で殺す精神の軽薄さを咎めたのである。
何ごとによらず、その人の技術がすぐれていると、我々の目は、その技術だけに注がれがちである。だがこの父は、その技術を左右する目にみえない精神の重さというものを知っていたのである。
相対性理論のアインシュタイン博士は、その著「私の世界観」の中で「科学のない宗教は盲人で、宗教のない科学は狂人である」と述べている。今、この狂人で、精神のない技術だけの発達が、未来を危うくしている。
ところで、華岳寺の和尚は主税に「生き物を殺してはいけないよ」という不殺生滅を教えたと思われるが、それはただ単に生き物を殺すなという意味だけではない。
「粒々これ仏物、滴々これ法身」という聖書の言葉であるが、一粒の米、一滴の水も、みな仏さまのもので、自分の所有というものは何一つないのだという道理がわかって、だから自分のものであっても自分が気ままに使ってはならぬという心構えができることが、真実に殺生をしない人になるということである。 |
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「小布ひとつ粗末にせで蔵(いありし
母の手箱を涙してみる」 |
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いつぞや読売歌壇に入選していたある婦人の歌です。物の豊かさになれ、物を粗末にする娘を悲しんだ母が、そっと保存していた布切れが母の死後発見されて、母の無言の教えに気づいて思わず涙が流れたという歌でしょうか。
十日間も子が近づくことを許さなかった父には、この歌のように、不殺生戒を子に守らせたいという祈りがあったのだと思います。 |
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(住職) |