平成15年8月3日
NO.216
期日 8月14日 午後2時より3時半
◆午後2時より 水子地蔵尊の御前で
◆午後2時半より 本堂で
事前にお配りした「施餓鬼回向塔婆申込書」にご記入のうえ、各自お寺に御時算下さり帳場に出してください。
◆ご回向の合間に「霊まつり和讃」「追善供養和讃」「無縁仏供養和讃」「水子地蔵和讃」等々をおとなえしますので、詠唱の方々、よろしくお願いします。
住職は先般、あるお年寄りから
「人生の日暮れも間近になって最近考えることと言えば死ぬ時のことばかりです。すべておまかせですから、どんな死に方をするか判りませんが、ただ死ぬ時に家族の者から「しっかりして」とか「お父さん、お母さん」とか名を呼ばれたりしながら死ぬのはかないません。お念仏の声を聞きながら、終わりたいのです。そのために方丈さんの声でお念仏をテープに吹き込んでくれませんか」
というご依頼を受けました。もっともなことで、そんな時には、お念仏が唯一の友であると、浄土宗の「臨終行儀」という教えにもしるされています。
臨終間際の病人の枕元で念仏を称えるなど、とんでもないと思う人もいるでしょうが、木は傾いた方に切ってあげるのが一番の親切というものです。
そこで住職は、1時間の念仏テープをつくりました。ご希望者に差し上げますからお申出ください。
「死のことを考える人は悟りの門前にたたずんでいる」という釈迦のお言葉があります。今は元気な人も、時々このテープを聞いて悟りの門の前に立ってくださることを、おすすめします。
西 節郎(昭和4年生・元小学校長)
私の生れたところは、北上山地の山懐に抱かれた小さな寒村です。
四季のはっきりしたところですが、五月初旬に梅も桜も一斉に咲く、どちらかというと冬の季節の長いところでした。故郷の景色は、周囲を山々に囲まれ山紫水明とは、この地をいうのかと思う程、風光明媚なところでした。
生活はほとんど自給自足で貧しくはありましたが、「結い」という江戸時代からの強い絆があり、隣近所とはよく助けあい、夜も序の口(玄関)に鍵などかける必要のない村でした。
そんな村ですから、どこの家にも亭亭とそびえ立つ大きな柿の木が5本や6本は必ずありました。土手にふきのとうが咲きだす頃、私たち子どもが水を入れた手桶や、「おはねいり」といってお米を入れた巾着袋を持ち、また、高等科の大きい兄ちゃんが金鉈を持って集まり、隣近所の柿の木へおまじないに行くのです。
大きな柿の木の前に兄ちゃんが立ち、鉈を振り上げて、
「柿の木、柿の木、実を生らすか。生るか、生らねえか、生きんねば切るぞ」と唱え、鉈を振り下ろして切る真似をするのです。そして小さい女の子が柿の木の後ろに立って「生ります、生ります。今年も生ります。」と木の代わりに答えます。
「そんなら切らねえ」兄ちゃんが言います。
みんなで手桶のお水を木の根元にかけ、おはねいりを供え、柿の木を拝むのです。
このおまじないのためか、秋になるとどの柿の木も沢山実をつけて私たちを喜ばせてくれるのでした。柿の実が黄色く色づいた頃、収穫になるのです。木から実を落とし、家まで運ぶのは私たち子どもの仕事です。
子ども達が集まるとどの家でも、祖父や父から「木まぶりを残しなさい」と注意を受けました。高等科の兄ちゃんが木に登り、竹竿で叩いて実を落とします。小学生は畚(竹・わらで編んだ容器)に入れて家の縁側まで運びます。
木まぶりとは木守りのことで、実を全部穫らずに残した柿の実のことを言います。
私たちは、高い梢の実を20個位、中程に20個位、道に飛び出している枝の柿の実をそのまま木に残しながら次々と収穫していきます。お年寄りたちが柿の皮を剥いて干柿作りを始めます。この干柿が冬の間のおやつになるのです。
やがて北国から渡り鳥が戻ってきます。木まぶりとして残した柿の実は、高い梢で赤く色づいて、何百という渡り鳥たちは、この柿を食べて元気に南の国へ飛んでいくのです。寒い朝、畑の柿の木へ群がる渡り鳥に「元気に飛んで行きなよ」と声をかける祖母の姿が私の瞼に焼きついています。
渡り鳥や旅人のために、木まぶりを残すことを教えてくれた遠い祖先の心温まる智恵を、今私はとてもすばらしい心の遺産と思えてなりません。人は一人では生きられないという共存共栄の大切さを自然に知り得たことに感謝せずにはおられません。
久しく故郷に帰っていませんが、今もその風習が続いているのでしょうか。生活共同体が都会風になって、もう失われたかもしれません。
私の追憶の中にある、貧しくとも清く美しく助け合い生き抜く、そして渡り鳥にも心を分けた少年の頃を懐かしく思い出すのです。
潮分社「心に残るとっておきの話」第四集より
「法華経」に「三界は火宅の如し」とあるのが語源である。この世に四苦八苦というようなもろもろの苦が充満しているところを火宅というのである。「家宅の人」という小説があるが、この世が苦悩に満ちていることを認識している人なら、その苦悩を減らすことができるが、凡人にはその認識がない。むしろこの世を楽しい処と思っている。それが火宅の火宅たるゆえんで、法華経では、そこを迫ってくる危機も知らずに喜戯している子供にたとえている。
◆
先の「寺しんぶん」で茶道教室開講のお知らせをしましたところ、12人の方々がご参加され、去る7月27日、第一回目の教室をもちました。次回は8月22日午後2時から。毎月1回の予定です。
教授は山崎ナオミ先生(国東町重藤出身)流派は江戸千家。
生涯学習のおつもりで御参加いただきたいと思いますが、あまりむつかしくお考えにならずに茶道を楽しもうというぐらいの軽いお気持ちでおいで下さい。
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