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| 平成15年3月7日 | NO.213 |
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豊臣秀吉の軍師であった黒田如水は、晩年、病を得てから非常に気むづかしくなり、むやみに家臣を叱りつけるようになったので、みな恐れおののいていた。その有様をみて如水の子の長政は、見るに見かねてある日、父の枕元に座った。 「父上、この頃どうしてそんなに左右の者をお叱りになるのですか。もう少し、お手やわらかにしてやってはいかがですか」 すると如水は床から身をおこし 「長政、近う寄れ」 といい、その耳に口を当て、小声で 「わしがむやみに家臣を叱るのは誰のためだと思うか。わしが口やかましく叱れば叱るほど、家臣はおのずから、そなたを慕うようになる。それがお前のためになるのだ」 と言いきかせたという。 いかにも策士らしい気配りの仕方である。末期に及んでまで策をめぐらさずにはおれない性癖は、いささかあわれであるが、しかし、子を思う親心のせつなさだけは側々として万人の胸に迫るものがある。「身は濡れて子に袖傘の親の慈悲」 これは源頼朝に疎まれて、幼い吾子の手を引いて風雨の中をにげまどう静御前を詠んだ句だとされているが、如水の末期の姿は、まさにこれだろう。静御前は文字どうり、風雨にさらされる中で身を濡らしたのだが、如水はわざと皆に嫌われものになるというかたちで自分の評判を落し、身を濡らして行った。両者に共通する吾子のためには、いささかも吾身を顧みないという親心である。親心とは、なんと切ないものだろうか。 目蓮尊者という人の母も、そんな人であったと思われる。目蓮という人は、釈尊のお弟子の中でも特に人格的に優れた人として知られている。彼は千里眼という一種特別の才能に恵まれていたと伝えられるが、母が死んだので目蓮は千里眼を使って母の行方をたずねみたら、母は地獄に堕ちて非常な苦しみを受けていた。その母を救出するいきさつが「盂蘭盆経」に述べられているが、その中に「地獄に堕ちたのは罪深かったからである」と堕地獄の理由が、ただ一言、簡単に述べられている。だが、その罪とは、人殺しをしたとか、人の物を盗ったとかいった種類のものではあるまい。たぐい稀な人格者を生んだ母が、そんな罪をおかすはずがない。では、その罪とは何か。それは一人子である目蓮を愛するあまり、如水のように、知らず知らずの間に自己本位の罪を重ねて来た罪ではないかと思う。 「人の親の心は闇にあらねども 子を思う道に迷いぬるかな」 で、世の親は子を思う故にこうして罪を重ねて身を濡らしていく。 そういう事実に気づかぬ人のことを忘恩の徒と言う。
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