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| 平成14年12月20日 | NO.212 |
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肥後、熊本城主、加藤清正が大勢の人を招いて茶会を催したときのことであった。その準備に忙殺されていた一人の小姓が、あやまって清正秘蔵の茶器を落して、こっぱみじんに割ってしまった。たいへん値打ちのある古い茶器で、いつもみんなにみせて自慢していたから、今日もそのつもりで出されたものであろう。 それを割ったとわかれば、清正はカンカンに怒って、おそらく打ち首にするに違いない。落した小姓はいうまでもなく、他の小姓たても、まっ青になって集まってきたが、今さらどうしようもない。そこで小姓たちは、いろいろ相談のすえ、「お叱りはみんなで受けることにして、どんなことがあっても落した者の名前を言わないようにしようじゃないか」という約束をした。いうまでもなく、落した小姓の命を、みんなで助けようと思ってのことである。 やがて清正にそのことがわかると、案の定、たいへんな怒りようで、 「誰が割ったのか。名前をいえ・・・」と、どなりつけた。だが小姓たちは 「割ったのは、わたしたちです」と言って、平あやまりにあやまったが、約束をまもって名前を言おうとしなかった。 清正はいよいよ激しく怒りだし、 「私共などいって、このワシをごまかすつもりか。お前たち臆病者だ。親の顔がみたいもんだ」と、ののしった。 その小姓たちの中に、加藤平三郎という少年がいた。彼はいくら殿さまだといっても、父の名を汚す臆病者とののしられると、我慢ならなかった。そこで打首覚悟で、きっと顔をあげて言った。「私たちは小姓でも、命を惜しむような者は一人もいません。ただ私たちは、それがどんな高価な茶碗でも、国を治め、国を守ることに関しては、何の役にたたぬ焼物だと思います。それにひきかえ、私たちは、いずれ御領国を守るいしずえになる者です。そんな私たちの命をとろうとするお殿さまは、私共を焼き物以下にお考えになっていることで、残念です。まして、私共の父の名まで仰せられて、私共を臆病者扱いなさったからには、なおさらその者の名前は申しません」 そのりんとした言葉を聞いているうちに、清正の顔はだんだんやわらいで、 「なにもワシは、手討ちにするなどとは言っておらんではないか」と笑い、 それからうれしそうに 「よしよし、名前言わなくてもよいぞ。お前たちはあっぱれな小姓どもだ。おそらく親たちに勝るとも劣らない立派な武士になるだろう。たのもしいかぎりだ」 と褒め、それから平三郎のそばへきて、その頭をなでながら、 「お前のような子をもった父がうらやましい。今の心をいつまでも忘れるなよ」と言った。 平三郎は命をかけて親の名誉を守った。「この子にしてこの親あり」という。父もまた、そのようにして親の名誉を守る人であったのだろう。そういうことを何よりも大事にしてきたのが日本人の親子であったのである。 |