天保2年(1831)建立の旧本堂

旧本堂鬼瓦
往昔、円通院安祥寺というお寺があった。その寺の由緒沿革等は一切不明であるが、慶長年間大友家譜代の徳丸氏の末裔五郎左衛門尉里久という者が、円通院の霊場の廃寺となったのを悲嘆して、村民に謀り力を合わせて一宇を再興して池中山安祥院蓮華寺と号した。開山は、実蓮社真誉上人莫無和尚である。この真誉上人は、安岐郷狩宿手島氏の生まれで、国府浄土寺雲誉上人につき、剃髪戒を受け、のち安岐郷に浄国寺を建ててその開山となって住した。この真誉上人の第二の弟子に森誉上人というお方があった。この上人は清和源氏の後胤片山伊勢守源清親の長子であり、安岐馬場八幡宮の本館に於て生れ、長ずるに及んで浄国寺開山真誉上人について得度修行した。天正の末年、徳丸氏の請によって池の内蓮華精舎を建てたが、上人はその師浄国寺開山実蓮社真誉上人を開山第一座に迎え、自らは第二世に住した。よって開基は徳丸五郎左衛門尉里久であり、安祥寺の旧名を留めて池中山安祥院蓮華寺という。なお、開山真誉上人は、寛永11年(1634)に安岐浄国寺に於て円寂。年83歳。また二代満蓮社森誉上人は、慶長9年(1604)6月、51歳で円寂している。
さらに第四代称蓮社専誉上人は、善長寺専念寺の開山となっている。
その後寛政年中一度焼失、天保2年(1831)に第十七世浄誉上人が再建した。
平成元年に、新しい本堂が再建された際に、旧本堂を丁寧に解体し、当時の檀家衆の熱意をあらためて認識させられた。

旧本堂基礎石にあった一字石

旧本堂の古材のあちこちに施主の名前

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