令和3年12月 NO.319
浄土宗開宗850年(その3)
 先般、昭和11年生まれの男性が突如他界された。死因は心筋梗塞とのこと。家族に「行ってくるよ」と出かけたのが最期。その日の午後には物言わぬ帰宅となった。悲報を受けて自宅に向かうと、そこにはいつもと変わらぬお姿があり、この世は無常で、人間は無力であることを痛感した。因果応報とは釈尊のみ教えだが、この度の因縁がどのようなものであるかなど、凡人の私には理解することなど出来ず、只々仏さまを頼りに念仏を申すだけであった。家族にお悔やみを申し上げ失礼しようとした時、玄関先に貼られた詩が目に留まった。

母親というものは
葉 祥明
母親というものは
無欲なものです
我が子がどんなに偉くなるよりも
どんなにお金持ちになるよりも
毎日元気でいてくれることを
心の底から願います
どんな高価な贈り物より
我が子の優しいひと言で
十分すぎる程幸せになれる
母親というものは
実に本当に無欲なものです
だから
母親を泣かすのは
この世で一番いけないことなのです

 聞けば、これは故人が貼ったものであり、自身出産の折に死に分かれた母を想っての所業だと家族は言う。故人はどのような想いでこの詩をセレクトし、どのような想いでこれをここに貼ったのか。そう考えると思わず口から念仏がこぼれた。前号で紹介した「浄土開宗の文」の最後は「順彼仏願故=彼の仏の願に順ずるが故に」である。この五文字で、法然上人は念仏の一行に結帰され、この五文字で浄土の門は開かれたのである。この度の別れに際し、「親の願いは仏の願いに似ている」と改めて感じた。
 そんなもったいないお慈悲の真っ只中にありながら、親を恥ずかしめ、仏さまを悲しませてばかりの私。そんな自分を省みて、仏祖報恩の念仏に勤しむ法要が「おまちうけ別時会」である。去る10月31日、その第1回目を蓮華寺で開催したところ、県内より多くの方が参加してくださった。ことに蓮華寺の皆さまには、会所の檀信徒としての自覚のもと「多数のお名号札の申込」「多数の法要参加」をいただき、住職として、教区の長として深謝しています。
  『人の心は、見慣れ、聞き慣れしてしまうと初心を忘れてしまい、日々の忙しさにかまけて、お念仏がおろそかになっていくものです。素直な心でお念仏を申すためには、時おり別時念仏をするべきです』との法然上人のご指導のままに、今後も「おまちうけ別時会」を開催してまいります。第2回目は、津久見市・長泉寺様が会場です。一期一会の精神で今後とも宜しくお願いします。

お名号札ご回向の様子

[HOME]