令和2年4月 NO.309
境内整備事業 中間報告
 皆さま方にはご健勝のことと拝察いたします。鐘楼堂・山門改修を柱とした「境内整備事業」につきましては、平素よりご支援をいただいておりますこと、厚く御礼申し上げます。
 去る3月21日、「浄財寄進申込書」に基づき、第1回目の寄付金(浄財)の集金をいたしました。遠近より多数の方々のご協力をいただくことが出来ました。ありがとうございました。また、地区幹事の皆さまには、他人のお金を扱う業務をになっていただき、大変ご心労をおかけしました。心より御礼申し上げます。
 会計担当者から、目標金額の六割強の浄財をお預かりしていると聞き、驚喜しております。皆さま方の厚いご支援に対し、只々感謝するばかりです。本当に有難うございます。
 現在、鐘楼堂新築工事に関しては、施工行者選定の段階に入りつつあります。山門に関しましては、修復工事ならではの難しさがあり、大幅な追加工事が出ないよう、目下、関係業者と交渉中です。趣意書でもご説明しましたように、今事業は焦らず確実に進めてまいりたいと考えています。百年後、「是非、このすばらしい建物は修復をしたい」との意見が出るような建築を目指して努力いたします。今後とも、皆さまの変わらぬご支援をよろしくお願い申し上げます。
 最後になりましたが、皆さまのご健勝とご多幸を祈念申し上げ、事業の中間報告といたします。ご尊体、ご慈愛下さいませ。   合掌
令和2年4月6日
建設委員長 清末利勝
建設委員一同 
お念仏から始まる幸せ(その2)
 
前回からの続編です。「何故、私が念仏で救われていくのか」、「何故、念仏でなければならないのか」について考察しています。(住職)
 法然上人は、何故、私どもに念仏の行がふさわしいかという理由として、次の二つを挙げられています。
先ずは、お念仏の行が、すべての仏道修行の中で、最も行じ易いからという理由です。人間は「易しい」というと、あまり関心が持てない傾向にあると感じます。例えば、私が右手の「人差し指」で皿を回したとしても、皆さんはさほど驚いてくださらないでしょう。しかし、逆立ちをして「足の指」で皿を回したならば、皆さんは必ずや私に大きな拍手をしてくださるでしょう。やはり人間は、「易しい」事より「難しい」事の方に関心があるのです。しかし、阿弥陀さまは反対です。誰でも平等に救いたいというのが仏さまの願いですから、「易しい」ということは、仏さまにとって一番価値のあることなのです。「ナムアミダブツ」ととなえるだけなら子供でも出来ます。歩いていても座っていても横になっていても出来ます。このように阿弥陀さまは、すべての人を救おうとして「最易」のお念仏を選んでくださいました。その阿弥陀さまの親心にしたがって、ひたすらにお念仏をとなえてゆけと、法然上人はお勧めくださるのです。
 次に、お念仏は「最勝」だからと申されています。「最易」のみならず「最勝」、つまりすべての行の中で一番勝れているからというわけです。
 実は私、今はこんな立派な体格をしていますが、生まれた時、1200グラムしかなかったそうです。そんな未熟児の私を、父母は片時も離れず世話をし、母乳を含ませて育んでくださいました。瀕死状態の私は、親の愛と母乳のめぐみをいただいて救われたわけです。私どもは、宗教的には生まれたばかりの赤子の様なものです。だから、いくら勝れた行だからといっても、難しければ実行することは困難です。しかし、行じ易しいからといって、劣った行、功徳の少ない行であっては、赤子は健全に発育することは出来ません。阿弥陀さまが、そんな赤子の様な私どもを心配してくださり、自らの仏道修行で得たすべての功徳を、「ナムアミダブツ」のお念仏に含めて下さいました。私は50年前、私の命を救ってくださった母乳について、いまだに詳しいことは何も知りません。赤子であった私は、母にすがって、母乳を飲みさえすればよかったのです。同じように、お念仏にはどんな功徳が含まれているかは知らなくても、阿弥陀さまにすがり、お念仏をとなえ続けるだけで、無量の功徳を受けることが出来るのです。
 江戸時代中期、現在の福島県で活躍された浄土宗僧侶に、無能上人という方がおられました。この無能上人が、阿弥陀さまと交わした日課称名の数は、当初は若干遍だったそうですが、徐々に一万遍、三万遍、六万遍と増えていき、ついには八万遍十万遍になったと伝えられています。一日を秒で換算すると86400秒になります。そのことを考えますと、無能上人の生活は、誠に尊いものでありました。
 その無能上人の詠まれた和歌に
   はじめには ものうかりしが 今はただ 念仏せざれば 淋しかりけり
とあります。お念仏をとなえ始めた頃は、お念仏を申すことが面倒であったけれども、励んで続けているうちに、逆に念仏をとなえていないと淋しいほどになったとの詩意でありましょう。まさしく無能上人は、法然上人のご指導のままにお念仏に励み、怠け心が精進の心へと更正する功徳を得られた方です。
 大正19年初夏、お念仏婆さんと呼ばれ、周りの者から慕われた、「荒巻くめ女」が極楽へ往生されました。彼女の生涯は、私どもの幸せの定義「身・命・財」を満たすものではありませんでした。夫に裏切られ、父母とは早々に死に別れ、子宝にも恵まれず、晩年は6畳半の侘び住まい、天涯孤独の身であったと言われています。一般的に、彼女の人生は「不幸なもの」と言われそうですが、残された歌や言葉を拝見する限り、彼女の周辺にそんな暗い要素はまったく感じられません。そのくめ女の歌に
   あゝうれし 死ぬる日にちは知らねども 仏まかせの日々は安けし
とあります。九州で、筑紫の聖女とも呼ばれた「荒巻くめ女」は、無能上人と同じく、法然上人のみ教えを深く信じ、念仏に励み、苦しみが苦しみでなくなるという功徳を得られた方です。
つづく

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