平成29年7月 NO.291

8月14日(月)
午前9時より 納骨堂で読経
午前9時10分より 永代供養墓で読経
午前9時20分より 水子地蔵尊で読経
午前9時40分より 施餓鬼法要(本堂にて)
ご先祖さまのお盆のご回向を受け付けます。塔婆回向ご希望の方は申込書にご記入の上、お申込み下さい。
法要中、新盆供養をいたします。新亡家の皆様はご仏参ご焼香下さい。
法要につき「お斎」は出ませんが、お供え物の「おさがり」をお配りします。
 この世からお釈迦さまがお隠れになって、約千年の時と、多大なる苦労の末に、仏教が日本に伝わりました。(仏教伝来:西暦538年)思えば、四十億年と言われる生物の進化の中で、互いに「人間」として、「仏教」のある時代に生を受け、「南無阿弥陀仏」のある「家庭」に生まれるためには、数知れない「縁」が必要でした。
 博多駅から電車で三十分程の所に、西林寺(篠栗町)というお寺があります。そこの檀信徒で、かつて、多くの人を念仏信仰に導いた方がいました。名を「荒巻くめ」女と申します。両親や姉弟の早世にあい、夫や子宝にも恵まれないような逆境の人生ではありましたが、彼女にはお念仏の信仰がありました。毎月一日は暇をもらい、仏間に籠って念仏三昧するような生活の中で、生き生きとした信仰の歌が生まれました。
わが身とて
すべてのこともまゝならず
たのみにするは南無阿弥陀仏

祖師さまの
墨の衣にねずみの袈裟
思いまわせば涙こぼるゝ
 前者は、「ナムアミダブツ」と実践する中で、素直な気持ちとなり、わが身の愚かさや弱さを信じ受け取れた時に、また後者は、同じく念仏実践の中で、法然上人の求道生活は、この私を救うためにあったと、信じ受け取れた時に詠まれたものでしょう。そんなくめ女の逸話の一つ。
ある方が彼女の自宅を訪ねてみると、何故か彼女の体のあちこちが赤く腫れていた。
「お婆さん、一体これはどうしたんですか?」と問いかけると、
くめ女、やや声を落として曰く。
「誰にも云うて下さるなよ。実は昨夜、私は夜通し肌脱ぎをしてお念仏をしましたのです」
何んで、そんな馬鹿げたことを・・・と返せば
「私が一心にお念仏をしている時の血を蚊が吸えば、その因縁によって蚊も何時かまた必ず御仏様に御縁があるものに生まれ変わるでしょうと思うて・・・」
と、またお念仏を漏らすくめ女であった。
 信じ難いような話ではありますが、くめ女の様に「誠実」に「情熱」をもって、祖師の教えを実行しているであろうかと我が身を振り返る時に、とても彼女の行為を笑う気にはなれません。

 元教師で、念仏者の宇野正一氏の詩に次の様なものがあります。
『たべものさま』
たべものさまに 仏がござる
おがんでたべなされ
大むぎめし しいなもち
まずいまずいと もんくたらたら
そのたびに しかられた
帰命無量寿如来
おじいさん いま頃やっと
おがめました
たべものさまには
仏さまがござりました
おじいさん
※「帰命無量寿如来」と「南無阿弥陀仏」は同意
 幼少期に母を亡くした宇野氏が、祖父から受けた宗教観を育み、そして詠まれたものでしょう。これら二人の人生に触れる時に、「悲しみ」が「喜び」に変わっていくことが分かります。宗教は「何で俺だけが・・」という様な「暗い世界」から、「もったいない」との「明るい世界」に私を導いて下さるものです。苦しいままに、情けないままに、念仏を申していくうちに、求めずして仏さまから与えられていく幸せがあります。
 下は、今お寺の山門に掲示している言葉。共に味わい、共に念仏を申してまいりましょう。
(住職)
「寺泊」実施
 去る6月30日より4泊5日の日程で、国東の農業遺産研修をする香港の大学生10名をお寺に泊めました。縁者より依頼を受け、民泊のノウハウもなければ語学力もない者としては、受入是非の判断に悩みましたが、「仏教興隆」しいては「国東興隆」のために、一行を引き受けることにしました。
 習慣や言語の違いから、多少のすれ違い?はありましたが、喜んで「日常勤行」「早朝念仏」「作務」等の寺生活を体験し、帰国されました。シェイシェイ

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