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最近、「老眼鏡」が必要となり、「老・病・死」の悲しみや苦しみについて考える時間が増えました。例えば、私は両親を看送る側でありたいと考えたり、我が子は、私を看送る側であって欲しいと考えたりします。
かつてAさんから聞かせていただいた話が印象的でした。 |
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戦後、六人の子供の手を引いて満州より引き上げてきた母は、女の細腕一つで私共を育ててくれました。しかし晩年、その負けん気の強さが、離れの隠居部屋で自活自炊をするというような生活スタイルへと母を向かわせました。更に「お前のことなど当てにしとらん。だからお前も私を当てにするな」と亡父の軍人恩給を理由に、小遣いも受け取ろうとしません。しかし子供としては、最低限の親孝行はしたいと思い、「母の小遣い通帳」なる口座をつくり、毎月わずかながらの小遣いを振り込むことにしました。通帳が銀行より届き、それを判子と共に母に渡すと「しかたがない、預かってやる」と言って、礼も言わずに懐に入れました。
それから数十年の時が流れ、母は91歳にてお浄土に往きました。後日、母の部屋で見つけた「小遣い通帳」の残高は、思っていた以上に少額のものでした。その数字を見て、「何だこれっぽっちか」という思いより「寂しい思いをさせてしまったなぁ、情けない思いをさせてしまったなぁ」との思いが先に立ち、涙がこぼれました。思えばあれもこれも、子供に負担をかけさせまいとの親心であり、その母の心中を察しながらも「年寄りは気難しい」と周囲に同情を請い、やるべきことをやらずに逃げていたのは私でした。何故もっと素直な気持ちで母に接してあげられなかったのか、今悔やまれるところです。今月も「母の小遣い通帳」に振り込みます。母を想うと、そうせずにはおられないのです。 |
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青山社の出版物に掲載されていた「報恩の歌」の一節が心に沁みます。
父 死に給(たま)うその臨終(きわ)に
泣いて念ずる声あらば
生きませる時 慰(なぐさ)めの
言葉交(か)わして微笑(ほほえ)めよ
母 生き絶(た)ゆるその臨終(きわ)に
泣いて合掌(おが)む手のあらば
生きませる時 肩にあて
誠心(まごころ)こめて揉(も)みまつれ
分かっていてもそうできない、知らないわけではないけれど、知り方が不十分である私を救いたいと親心を起こして下さった方が「阿弥陀さま」。その大慈悲の仏さまに全てをお任せ申し上げて「ナムアミダブツ」と申す営みの中に、出来ないままに出来ていく、越せないままに越せていく世界が与えられていくと、お釈迦さまはお説き下さいます。それはこれから私共が受けていかねばならない「老・病・死」の苦しみについても、例外ではありません。「自分で自分を救うことの出来ない私共は、仏さまのお慈悲を信じて、お念仏を申していくしか道はありません。お念仏を申しましょう」とお釈迦さま・法然さまの教えのままに、共に手をつなぎ人生の坂道を登りながら、西方の極楽(ふるさと)をめざしましょう。 |
| (住職) |