平成29年3月 NO.298
3月18日(土)
法話 大本山善導寺 大西 文生 師
午前 9時より 納骨堂
9時10分より ペット供養塔
9時15分より 永代供養墓
9時20分より 水子地蔵尊
10時より 彼岸法要(本堂にて)
 最近、「老眼鏡」が必要となり、「老・病・死」の悲しみや苦しみについて考える時間が増えました。例えば、私は両親を看送る側でありたいと考えたり、我が子は、私を看送る側であって欲しいと考えたりします。
 かつてAさんから聞かせていただいた話が印象的でした。

 戦後、六人の子供の手を引いて満州より引き上げてきた母は、女の細腕一つで私共を育ててくれました。しかし晩年、その負けん気の強さが、離れの隠居部屋で自活自炊をするというような生活スタイルへと母を向かわせました。更に「お前のことなど当てにしとらん。だからお前も私を当てにするな」と亡父の軍人恩給を理由に、小遣いも受け取ろうとしません。しかし子供としては、最低限の親孝行はしたいと思い、「母の小遣い通帳」なる口座をつくり、毎月わずかながらの小遣いを振り込むことにしました。通帳が銀行より届き、それを判子と共に母に渡すと「しかたがない、預かってやる」と言って、礼も言わずに懐に入れました。
 それから数十年の時が流れ、母は91歳にてお浄土に往きました。後日、母の部屋で見つけた「小遣い通帳」の残高は、思っていた以上に少額のものでした。その数字を見て、「何だこれっぽっちか」という思いより「寂しい思いをさせてしまったなぁ、情けない思いをさせてしまったなぁ」との思いが先に立ち、涙がこぼれました。思えばあれもこれも、子供に負担をかけさせまいとの親心であり、その母の心中を察しながらも「年寄りは気難しい」と周囲に同情を請い、やるべきことをやらずに逃げていたのは私でした。何故もっと素直な気持ちで母に接してあげられなかったのか、今悔やまれるところです。今月も「母の小遣い通帳」に振り込みます。母を想うと、そうせずにはおられないのです。
青山社の出版物に掲載されていた「報恩の歌」の一節が心に沁みます。
  父 死に給(たま)うその臨終(きわ)に
  泣いて念ずる声あらば
  生きませる時 慰(なぐさ)めの
  言葉交(か)わして微笑(ほほえ)めよ
  母 生き絶(た)ゆるその臨終(きわ)に
  泣いて合掌(おが)む手のあらば
  生きませる時 肩にあて
  誠心(まごころ)こめて揉(も)みまつれ

分かっていてもそうできない、知らないわけではないけれど、知り方が不十分である私を救いたいと親心を起こして下さった方が「阿弥陀さま」。その大慈悲の仏さまに全てをお任せ申し上げて「ナムアミダブツ」と申す営みの中に、出来ないままに出来ていく、越せないままに越せていく世界が与えられていくと、お釈迦さまはお説き下さいます。それはこれから私共が受けていかねばならない「老・病・死」の苦しみについても、例外ではありません。「自分で自分を救うことの出来ない私共は、仏さまのお慈悲を信じて、お念仏を申していくしか道はありません。お念仏を申しましょう」とお釈迦さま・法然さまの教えのままに、共に手をつなぎ人生の坂道を登りながら、西方の極楽(ふるさと)をめざしましょう。
(住職)
~書き方講座~
 昨夏、皆さんにお配りした、浄土宗版エンディングノート『縁の手帖』について、社会福祉士「キムラ ミキ」先生からのアドバイスです。ご参考下さい。

「会話の中で気づく自分」
 話に花を咲かせることで、自分では思いつかなかった新しい発想が生まれたり、毎日のことに忙殺されて記憶の片隅に追いやられていたやりたいことを思い出したり、今まで支えてもらった周りの人への感謝の念に気づかされたり・・・。と、一人で頭の中で考えているだけでは漠然と感じていたものや、無意識下にあったものが、人と話すことによって顕在化し、ノートの空白が埋まってきます。
 家族やコミュニティのつながりが強かったころは、何気ない話に花を咲かせる場所がたくさんあったかもしれません。しかし、家族のカタチが多様化している今日、高齢者の一人暮らしまたは夫婦のみの世帯も多く、「気軽に話せる相手も見つからない」という方も多くいらっしゃるでしょう。そこで「菩提寺に気楽に相談してほしい」と製作されたのがこの『縁の手帖』です。寺院での行事に参加して、お茶を飲みながらざっくばらんに「これまでの私」を振り返り、そして「これからの私」を考えてはいかがでしょう。

「まずは『名前』から」
 『縁の手帖』7ページの「私のこと」冒頭には、自分のプロフィールをまとめる箇所があります。自身の人となりを振り返り、それを人に伝え知ってもらうためのはじめの一歩になるページです。そして、ただ人となりを知ってもらうだけにとどまらず、「現住所」のほか「出生地」も記しておくことで、相続時に必要な戸籍取得における手掛かりにもなります。今さら書かなくても、自分で知っていることだから・・・と片づけてしまうのではなく、これを機会に「これまでの私」について振り返るきっかけとして、気軽にあなたのお名前から書き始めてみましょう。

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