平成28年3月 NO.284
わたしたちのねがい(その4)
 お寺の子ども会で使用している経本「わたしたちのねがい」の一節に「かんがえぶかい人間となろう」とあります。
 42年もの永きにわたって放映された人気時代ドラマ「水戸黄門」のオープニングソング「ああ人生に涙あり」は、「人生楽ありゃ 苦もあるさ 涙の後には虹が出る」と始まります。歌詞の通りに人生には苦楽がつきものですが、それが自分のこととなりますと、順境的な出来事は歓迎ですが、逆境的な出来事については遠慮したいと思うのが人情でしょう。そんな私に仏さまが語りかけます。
かんがえぶかい 人間となろう
どんなときでも 自分でよくきき
よくみて かんがえよう
仏さまは ちえのひかり
ふかいかんがえから うまれたしずけさ
私達は しずかに おちついてかんがえ
なにごとも さいごまで やりとげよう
ちしきだけでなく みについた
ちえをみがこう
かんがえぶかい 人間となろう
 平安中期、貴族たちと恋愛を情熱的に詠んだことで有名な和泉式部には、小式部という一人娘がいましたが、その娘は残念なことに流行病であっけなく死んでしまいます。そんな中で彼女は次のような歌を詠んでいます。
子は死して たどりゆくらん死出の旅
道しれずとて 帰りこよかし
《私訳》人は死んだら黄泉という真っ暗な道をトボトボ歩いてゆくと聞いているが、小式部が「お母さん、道がわからない」といって帰ってきてくれたらいいのに。
 そしてもう一首、
もろともに苔の下には朽ちずして
ひとり憂き身を みるぞ悲しき
《私訳》母はお前に先立たれて、悲しい思いで毎日を過ごしている。こんな事ならお前と一緒に埋葬されて、苔むした方がよかった。
 掌中の珠のような愛娘に先立たれた和泉式部の身もだえするような嘆きが伝わってくる二首です。そんな悲嘆の中にいた彼女にある日、当時西の比叡山ともいわれていた霊地、現在の兵庫県姫路市にある書写山圓教寺に住していた、性空上人という高僧から、仏さまの教えをいただく縁がめぐってきたのです。その縁をきっかけに、彼女の歌の内容にも変化が生まれます。
仮にきて 親にはかなき世を知れと
教えて帰る子は菩薩なり
《私訳》あの子は、私の子ではあるけれど、ただの子供ではない。仏さまが私のことを心配して下さり、菩薩さまの生まれ代わりとして、授けて下さった子供である。そしてこの私に、「人生というものには、真に頼りになるものは何ひとつないのです。親が頼りにならない、子が頼りにならない、夫が頼りにならない、妻が頼りにならない、お金が頼りにならない、名誉や地位が頼りにならない、そしてこの体ですら頼りにならない。この世に頼りになるものは何ひとつないのです。そういう頼りにならないものを頼りにしていると、いつか泣かなければならない時が必ずきます。真に頼りになるのは何であるか、そのことを元気なうちから求める道を生きなさい。」との御旨を伝えてくれたのだ。
 もっとも悲しいとされる逆縁の中にあった和泉式部ではあったけれども、仏縁によって信仰が深まり、いたずらに娘の死を嘆く心境から脱して、我が子の早逝にも大いなる意味を見出せる人格へと更正されていったのです。
 私共にとって、順境はやさしく、逆境は厳しいものです。やさしさと厳しさは矛盾していますが、その矛盾の中に、物事は正しく作用します。プラス極とマイナス極という矛盾があって、電球は灯ります。雨と晴れという矛盾があって、草木は育ちます。動く車輪と動かぬ道路という矛盾があって車は進みます。身体の入口と出口という矛盾があって、健康が保たれているのです。人生の矛盾は人間を活性化させる原動力ですね。
 お念仏を申すと「仏さまは全てを取り上げたりはしない。必ず何かを残し、何かを与えて下さる」との精神が育成されると経典には説かれています。「苦が苦でなくなる」お念仏の世界です。かんがえぶかい人格になってゆける信仰に出会えたことに感謝し、共に浄土への往生を願い、阿弥陀さまを慕い、お念仏を申す生活をいたしましょう。
(住職)

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