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四人兄弟の二男として生れた彼は、栃木の田舎町の出身。戦争の余波が残っているころで、家の中から星が見え、冬は関東の空っ風が家の中を吹き荒れていた。新聞配達をしていた彼にとって最高の楽しみは、配達先のお寺で時々もらう饅頭を家に持って帰り、兄弟でそれを分けて食べる時だった。
小学校に入学する時には皆からガキ大将といわれ、5才の時はすでに不良といわれていた。中学2年のとき、父子で家裁へ呼び出されて、若い係官からさんざん説教された。
すると父は、「この子は決してそんな悪いことをする子供ではありません。どうか許してやって下さい」と、涙ながらに許しを乞うた。彼はそんな父の姿をみて父が可哀相になり、悪ガキから足を洗おうと心に誓った。
その帰り道、父が「腹は空いてないか」と聞くので、「空いた、ペコペコや」と答えると、ラーメン屋に連れていってくれた。すると父は一杯のラーメンを注文して、それを目の前に置いて「さあ、食べろ」。子はあっという間に食べ尽くし、スープまで一滴残さずきれいに飲み干してしまった。
「うまかったか」「うまかったよ、父ちゃん」。すると父は微笑みながらコップの水をとると、それをわずかに残ったラーメンのスープに足して、すばやく人差し指で混ぜ、それを一気に飲み干した。子は愕然とした。そしてなんだか無性に自分が自分でいやになった。
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上はボクサーから俳優になったガッツ石松(本名:鈴木有二)さんの著書『神さまありがとう おれの人生』から。この中で石松さんは、ラーメンのわずかな残り汁にコップの水を混ぜて飲む父の姿を思い浮かべて、「あの時の父の気持ちは、目の前でうまかったと喜んでいる子を見ることこそが、一番の喜びだったにちがいない」と述べている。
『父母恩重経』という経典があります。釈尊が親の恩の重きことを説いた教典です。私は住職時代、ご法事の席で時々この教典を読んでいました。すると後の席で時々、こんな声が聞こえてくることがありました。「有難いお経でした。若い者にこんなお経を聞かせたい」。
私はそんな声を聞くたび、なにか違和感を覚えていました。この教典は若い者のために説かれたものではなく、自分で自分にいいきかせるために釈尊が説かれたものと思っているからです。親のいる若者が聞いても、この経の本当の有難さはわからない。低地にいて空気の有難みがわからないのと同じです。それが本当に有難いと感じられるのは、高地などにいて、空気が薄くなった時だけ。親の愛が本当にわかるのは、親を失くした人だけです。
石松さんも父が死んで、はじめて親心の奥底がわかったのです。 |
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| (閑院) |
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