平成26年9月15日 NO.276
日本人の親子(その72)
 学校の部活を終えて家に帰る途中、新潟から北朝鮮に連れ去られた横田めぐみさんは、その時十三才だった。その状況を韓国に亡命した元北朝鮮工作員は、こう証言している。
 「めぐみさんを北朝鮮に着くまで四十時間以上船倉に監禁した。『お母さん、お母さん』と叫びつづけ、壁などをひっかいたようで、指は血だらけ、爪ははがれそうになってた」。
 北朝鮮に着いためぐみさんは泣きつづけた。その姿を見て北朝鮮当局者は、「朝鮮語を勉強するなら、五年後、日本に帰してやる」と言った。賢い少女は日本に帰りたい一心で勉強して異国の言葉を完全にマスターした。そこで十八才になったころ、当局者に、「日本に帰りたい」と申しでた。すると当たり前のように約束はほごにされた。
 「それなら監視下でいいから新潟へ行き、遠くから親の顔を見せてほしい。じっと見ているだけでいいから」と懇願した。
 しかし、その願いもあっさりと拒否された。それがきっかけとなり、めぐみさんは精神に破綻をきたすようになり、病院に収容されるようになった。
 北の発表によると、めぐみさんは平壌の病院で病がこうじ、松の木に自分の着物を裂いてかけ、首をつった。だが、その後の日本政府との交渉で、「これがめぐみさんの遺骨だ」と北朝鮮が差し出してきたのは、日本の鑑定で、まっ赤な偽物であることが完全に証明された。
 以上は新聞テレビで広く周知されているものであるが、同じような手口で連れ去られた拉致被害者の第一回目の調査結果が今月中に北朝鮮から日本に示されることになっている。被害者の肉親の方には、張り切れるような期待感と共に不安感でいっぱいのことと思われる。同胞として、人間として、被害者の方々の願いが叶えられることを祈ってやまない。

 十年ほど前、私は所用で山口市に行った。駅の待合室で椅子に座ると、隣にどこかで見かけたような老夫婦が並んで腰かけている。テレビでよく見る、めぐみさんのご両親、滋氏と早紀江さんだった。ご挨拶をすると、「後援会の講演にきて、今その帰りだ」という返事がかえってきた。その時の早紀江さんの一言が思いだされる。
 「めぐみは死んでいるという人もいるが、私たちは生きていると思っているのです」。

  秋のこのかそけし道を汝はなに
       秘めたどりしか行方も知れず

これは早紀江さんの子を思う歌です。
 父母恩重経に「もし吾子、遠くへ行けば帰りてその顔をみるまで出でても入りても之を憶い、寝ても起きても之を憂う」とあります。これを遠行憶念といっていますが、子を思う尊い親心を表す言葉です。めぐみさんの老父母を三十七年間にわたって支えてきたのは、まさに遠行憶年の一念だったのではないかと思います。
(閑院)

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