平成25年3月12日 NO.271
日本人の親子(その67)
 母一人子一人で育った駒形茂兵衛は横綱になって貧乏な母を助けようと相撲とりを目ざして江戸に向った。だが、早々と路銀を使い果たし、フラフラになって上州の宿場町で倒れていた。それを宿屋の二階で見ていたのがお蔦という女である。見かねたお蔦は降りてきて抱き起こす。「おまえ、国じゃおっかさんがいるんだろう。親に心配かけるんじゃないよ」
 そう言って、持っていた櫛、こうがい、巾着と金めのものをすべて茂兵衛に与えて意見した。見知らぬ他人の情に泣き、横綱を誓った茂兵衛だが、こと志に違い、いつのまにか切った張ったの渡世人の用心棒になり下っていた。
 だが、そんな日暮しの中で思い出すのは、あの時、見ず知らずの自分を助けてくれたお蔦である。お蔦さんに会いたい、会いたいの一念で土地に帰ってみると、お蔦夫婦とその子は地回りのヤクザに狙われていて窮地に陥っている。駆けつけた茂兵衛は一家を背に庇って言う。
 「さあ、あねさん、早くお逃げなせえ。飛ぶにゃ今が潮時だ。あとは、あっしが引きうけた。さ、さ、早く、早く」
 「あっ、お蔦はん、十年前この宿場で、櫛、こうがい、巾着ぐるみ、意見をもらったあねさんへ、せめて見てもらう駒形の、しがねえ姿の、一本刀土俵入りでござんす」
 上は長谷川伸の名作「一本刀土俵入り」。芝居はここで茂兵衛が一本刀を抜いて見栄をきると、とたんに拍手がわきおこり、婦人たちは急いでハンカチをとりだして目頭をおさえたはずです。茂兵衛の姿が日本人の琴線にふれたからです。受けたご恩を忘れず、万分の一でも返そうとする。これが、かつての日本人の心の「原風景」だった。大衆文学と侮るなかれ。ここには人間と動物のちがいが見事に示されているではないか。
 恩を知り、恩に報いるという言葉も最近では死語に近くなった。そうなるにつれて、人間が少しおかしくなっているような気がする。いつぞや年金をもらうために親が死んだのを三十年近くも隠し通していたのが追跡調査で明るみに出たことがあった。出てきた親は部屋の中でミイラになっていたという。知恩という言葉が生きていた頃なら、考えられもしなかったことである。
 昨今、日本列島で、なんとも表現しようもない奇怪な事件が頻々とおこっている。人間と動物の境目が曖昧になっているからだろう。
 いつぞやテレビで、ジャングルの象の長老が死んだ時の様子がでていた。みなが長老の遺体のまわりに集まり、長い鼻で体をさわり、中には鼻で草を抜いてそれを体の上に置いている象もいた。私には、まるで象たちが長老の死を悲しんでいるように見えた。恩という言葉が死語になるにつれて、人間が動物以下になっていっているような気がしてならない。
 茂兵衛のような日本人がいたことを子孫にかたりつたえていきたい。それを知った子供たちは決していじめで人殺しなどはしないのではないかと思う。
(閑院)

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