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「私のかあちゃんは馬鹿です。野菜の煮物をしながら、洗濯物を手に庭に出たら、煮物がふきこぼれ、父ちゃんから、おい馬鹿、煮物があふれているぞ、と言われて、あわてて洗濯物を籠ごと放り出して台所へかけこみました。洗濯物は泥だらけです。父ちゃんからおまえは馬鹿だなあと言われて、ごめんね父ちゃん、かんべんね、とおどける母ちゃんです。
しかし、母ちゃんを叱るその父」ちゃんも実はばかです。
ある朝、あわててとび起きて、飯はいらんと洋服に着がえ、かばんをかかえて玄関から走ってでていきました。すると、母ちゃんが、馬鹿だね父ちゃん、今日は日曜日なのにね、また寝ぼけているよ。
そういう馬鹿母ちゃんと馬鹿父ちゃんの間に生まれた私が利巧なはずはありません。弟も馬鹿です。家中みんな馬鹿です。
しかし、私は大きくなったら私の馬鹿母ちゃんのような女性になって、私の馬鹿父ちゃんのような人と結婚し、私と弟のような馬鹿兄弟を産んで、家中みんなで、あはは、あははと、明るく笑って暮したいと思います。私の大好きな馬鹿母ちゃん。 |
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上はある町の主催で小学生の作文コンクールがあった折、小学5年生の少女が登壇して読んだものです。彼女の作文がコンクールで最優秀賞をとったそうですが、その理由がよくわかるような気がします。私は最初にこれを読んだ時は、あはは、と笑いましたが、二度めに読んだ時は、なんとなく涙がでるような気になりました。なんという素晴らしい家族でしょうか。少女は大きくなったら父のような馬鹿な人と結婚し、母のような馬鹿なお母さんになりたいと言っているのです。これに過ぐる父母への讃歌があるでしょうか。
よほどおめでたい人でない限り、自分は偉いと思っている人はいないでしょう。だが、偉くはないけど、人が10人いたら5、6番めぐらいにはいくのではないかと漠然と思っているのではないでしょうか。だから最低の馬鹿と言われたら腹が立ちます。最低と思ってない証拠です。
愚痴という言葉があります。不満に思ってブツブツ文句を言うことをそのように言っていますが、実はもっと深い意味があるようです。愚痴の痴は「知」に「疒」がつきます。「疒」は「やまいだれ」といって病気という意味です。知ることは知っているが、その知り方が病気づいているのを痴と言います。あまり偉くはないと知りながら、馬鹿と言われて腹が立つのは、その知りかたが病気づいているからです。我々の知り方というのは、たいていこんな程度のもので、そのことを深く知っておられた方が法然上人です。上人はご自身のことを評して常に、「愚痴の法然房」と申しておりました。
「おろかなる身こそなかなかうれしけれ
弥陀の誓いにあうと思えば」
これは念仏をよろこんで死んでいった人の歌ですが、なにかシミジミとしたものを感じます。 |
| (閑院) |
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