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彼女の生家は代々の農家、もの心つく前に母親を亡くした。だが、さびしくはなかった。父親に可愛がられて育てられたからである。
父は働き者であった。3ヘクタールの水田と2ヘクタールの畑を耕して立ち働いた。
村のためにも尽した。行事や共同作業には骨身を惜しまず、ことがあると、まとめ役に走り回った。そんな父を彼女は尊敬していた。父娘二人の暮しは温かさに満ちていた。
彼女が高校3年の12月だった。その朝、彼女はいつものように登校し、それを見送った父は、トラクターを運転して野良に出ていった。そこで悲劇は起った。居眠り運転のトレーラーと衝突したのである。彼女は父が収容された病院に駆けつけた。苦しい息の下から父は切れ切れに言った。
「これからはお前一人になる。すまんなあ・・・」
そしてこう続けた。
「いいか、これからは“おかげさま、おかげさま”と心で唱えて生きていけ。すると必ずみんなが助けてくれる。“おかげさま”をお守りにして生きていけ」
それが父の最後だった。
父からもらった“おかげさま”のお守りは、彼女を裏切らなかった。親切にしてくれる村人に、彼女はいつも「おかげさま」と心の中で手を合わせた。彼女のそんな姿に村人はどこまでも優しかった。その優しさが彼女を助け、支えた。父の最後の言葉が彼女の心に光を灯し、その光が村人の心の光となり、さらに照り返して彼女の生きる力になったのだ。
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上は致知出版刊「心に響く小さな五つの物語」より著者・藤尾秀昭氏の文をそのまま引用させてもらったものである。「鳥の死なんとするやその鳴声悲し、人の死なんとするやその言うことよし」という孔子さまの言葉を思い出させてくれる父の遺言です。
法然上人の父上の遺言も素晴らしいものでした。上人の父は武士でした。その父が上人9才の時、夜討ちにあって非業の最後を遂げます。その時の父の遺言が吾子の一生を決め、日本の歴史を変えたのです。
「吾子よ、父がこうなったのも先世の宿業だから敵を恨んでも仕方がないのだ。お前も武士の子だから父がこんな死に方をすれば悔しいと思い仇討ちをしたくなるだろう。だが、それだけはしてくれるな。お前がそうすれば向うにもお前と同年の子がいる。するとその子はお前を親の敵としてつけ狙うだろう。お前にそんな人生をおくらせたくない。僧になって父の菩提を弔い、敵味方ともに救われる仏の道に進んでほしい」
この父の遺言が上人の一生を決定したのである。
江戸のさる豪商は「モノを粗末にするな」と書いて最後に「下男下女(従業員)はみな盗人と思え」と記して遺言とした。
同じ遺言でも子孫を幸せにするものもあれば、不幸にするものもある。 |
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| (閑院) |
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