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人生二十八年の 旅路をここに終ります。
皆さん、お世話になりました。夫よ、子供よさようなら。
母さん、ほんとにありがとう。私の心のおろかさに 我ままばかり言い張って
あなたを泣かせてきましたね。
私の宿業だきしめて、ミオヤも共に泣きますと、聞かせてもらったその日から、
心の闇は晴れました。
ようこそ教えてくださった、泣く泣く三途に沈む身か、無碍の白道ひとすじに、
久遠のミオヤとまいります。
一日ごとに腫れていき、痛みもつのるこの腹を、なでては泣いたこの口に、
今では念仏たえませぬ。
私が往ったその後で、明け暮れの三人の幼な子が、
母を尋ねて泣くでしょう。思えば心が残ります。
お浄土さまから私は、じっと護っておりますよ。
世間の人に愛されて 生きぬくように頼みます。
幼き三人の子供らよ、母さん恋しと思うなら、み仏さまに手を合わせ、
南無阿弥陀仏と称えてね。
落葉をおくる風澄みて、み空にかかる月さえも、
雲ひとつなく冴えわたり西へ西へと急ぎます。
私も往きます西の国 輝く光のお浄土へ
それでは皆様さようなら、
南無阿弥陀仏 阿弥陀仏 |
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◆三人の子を残し、二十八才でガンで逝った森友敏子さん(佐賀県唐津市)の死後、枕の下からでてきた遺書です。 |
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