平成22年3月7日 NO.258
日本人の親子(その55)
児童文学作家 小林しげる
迅速丁寧、親切本意が信条の畳職人を父とする八人兄弟の末っ子として生まれた私は、昭和22年、母が病死するまで、母と一緒に寝、母の話を聞きながら、夢の世界に入るのを常としていた。
母は、どこでどう覚えたのか、いろんな話を知っていた。春夏秋、特に寒い冬などは、冷たく冷えた私の小さな足を、自分の太股の間に挟むようにして、外国の名作や日本の昔話、偉人の伝記や歴史物語など、私が寝つくまで話してくれたものである。

私が小学校3年生の秋のことだった。それまで病弱ながらも軽い家事労働はこなしていた母の症状が、私の運動会を目前に急に悪くなり、私は母と寝ることを禁じられた。
もちろん、運動会にも母が来られるはずがない。私は地団駄を踏んで悔しがった。

ところが母は来ていたのである。
午前中こそその姿は見えなかったが、運動会も終わろうとする頃、溶けかけたアイスキャンデーを私にくれながら、
「よかったのう、がんばったのう。お母ちゃんな、昼から来てたんで」といった。熱にむくんだ母の笑顔を、今でもはっきりと思い出す。

翌日から母の症状はさらに悪化し、心臓病特有の発作で何度となく仮死状態におちいったが、そんなある日のことだった。あれほど悪かった母の病状が嘘のようによくなり、
「しげる、お母ちゃんな、今日は気分がいいから一緒に寝よう」と、
私に声をかけてくれたのだ。
「えっ、いいの?」
もちろん私に異存のあろうはずがない。私は喜んで母の横にすべり込んだ。

その晩、母が話してくれたのが、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の話である。
「極悪人のカンダタがな、生きているうちにたった一度だけしたよい行い、お釈迦様はそのよい行いに救いの手を差し伸べたんよ・・・」

翌日、母は家族みんなに見守られて息を引き取った。今思うにすでに死期を知っていた母は、あまえん坊でわがままな私に、お話という形で、「思いやりの心の大切さ」を言っておきたかったに違いない。
私にとっては、きのう聞いた「蜘蛛の糸」の話が、母の遺言となったのである。

僅か47歳という若さで、しかもまだ10歳にも満たない末っ子を残して、母はどんなに生きたかったか知れない。
だが、避けられぬ死という事実と共に、あのときの母の話が、その後の私の生き方に強烈な影響を与えたのも事実である。
(豊後大野市三重町在住)
浄運寺時報「月かげ」より転掲

◆A子さん
「葬儀は何のためにするのですか?」
◆山寺の和尚
浄土宗祖法然上人さまが80歳でご臨終のみぎり、別れを惜しむ弟子たちに
「私はどこにいくのでもない、仏のみもとに還るのである」 と申されました。これが浄土宗葬儀式(葬儀)の基本概念です。故に葬儀は故人にとっては、み仏に導かれ浄土に往生(往き生れる)するための『旅立ちの儀式』であり、見送る者にとっては、故人との別れを縁として、人生を豊かに歩むための『けじめの儀式』です。
◆B子さん
「一連の葬儀の形式を変えてもいいのですか?」
◆山寺の和尚
葬儀の形式は、時代や地域習慣によっても変化します。しかし、信仰的思慮に基づかず、人間の都合だけで儀式を変えて(簡略化)しまうことは、故人との死別を縁として得た人生回顧の時間を失うこととなり、しいては苦難(生老病死)を越えるための機会をも失うこととなります。その流れは本人だけに止まらず、家族や親戚、人間社会にも波及してしまいます。形式を壊すことは簡単ですが、失った精神更正システムを再び構築することは、大変な時間と努力を必要とするでしょう。共によく考えてみましょう。

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