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昭和27年、和歌山県白浜海岸で大阪の岸辺匡広君(22才)と滋賀県の加藤敏子さん(21才)が心中した。時は2月、海が一番荒れている時である。幸い娘さんの方はすぐに浮かびあがったが、男の方はあがらない。母親は警察から連絡があるとすぐに駆けつけて待機していたが長くは居られないので白浜当局に万事を依頼して大阪にひきあげていた。ところが3月上旬、冬の海がやや凪ぎそめたころ、投身自殺した三段壁はるか海上に布切れひとつついてない頸のない男の屍体が浮かびあがってきた。漁船がこれを収容し警察が認定しようとしたが頸がないうえに着衣が全くない。そのうえ、肉は腐って溶けかかっている。だから、あの時の心中の片割れであるという認定ができない。そこで仮に埋葬しておいた。それからいろいろ調査した結果、どうしてもあの時の心中の片割れにちがいなかろうということになり、大阪の母親に連絡され、母親はこの子供の勤務先の建設省近畿地方営繕部の事務官数名と白浜にやってきて、仮埋葬してあった屍体を掘りだし、母親が認定に当るのですが、なにぶん頸もない。そのうえ腐りかけている。いかに母親といえども、吾子であると認定することができない。しばし呆然と屍体の横に立っていた母親が急にうずくまって、たった一つだけ残っていた足の親指の爪を見たとき、悲痛な声をあげて、
「これは匡ちゃんにちがいありません。私が小さい時から切ってやった爪なんです。匡ちゃんにちがいありません」
といって、その頸なしの屍体に抱きついて、
「匡ちゃん、霊があるなら聞いてください。お母さんはもう決してあなたの側を離れませんよ」と、しばし泣いていた。立ちあった警察官も町役場の人ももらい泣きしたという。
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これは当時の新聞が報じていたある心中事件の顛末だが、今なら科学の力で鑑定も容易に出るだろうが、そんなもののない当時、これを割り出したのは一重に母親の愛の力であった。それにしても爪ひとつで我子であると見破った母の眼力はすごい。子のすべてを知り尽し、それをわが心としていた母ないこそ可能になったことである。
善導大師は仏はいつもあなたのことを「見てござる、聞いてござる、知ってござる。それは仏とあなたは親子だから」といっている。子供のことを何もかも知り尽してくれている親はまさに「仏さま」である。ただ「親心」と「仏心」のちがいは、親心は深いが狭い、仏心は深くて広いという点だろう。
親でありゃこそ叱りもするが あわれ他人はうしろ指
親は我子のことなら鬼にもなるが、他人の子のためにはそこまでなれない。
それが人間の限界で、だから人は常に懺悔の心を忘れてはならないというのはこの点である。 |
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| (閑院) |
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