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その母は高齢で寝たり起きたりの生活を送っていた。若い頃から忍耐づよく、また心の優しい人で、子を育てるため苦労をものともせず、懸命に生きてきた人である。寄る年波、子供さん方の世話を受けながら穏やかに暮していたが、身体を動かすことも少なく、お通じが悪くなってきた。
かかりつけの医者に相談すると、「食事を工夫して食物繊維を多く摂るようにしましょう。さつま芋は良いですよ」と勧められます。ところがそれを聞いた娘さんは、はたと困った。母は若いころからさつま芋が好きでなかったからです。料理はとても上手で、あれこれ美味しく作ってくれるのですが、さつま芋を自分で食べることはありませんでした。戦後、もののない時代でも、子供たちは母の分までさつま芋を食べた記憶がある。
母はあまり好きではないからと思ったが、身体のためだからと、さつま芋をあれこれ食べ易く調理してお膳に並べた。すると母は目を輝かせて
「あらおいしそう、おイモさんは大好物よ」と大よろこび。娘さんは驚いて「お母さん、さつま芋は若いころから嫌いで食べなかったじゃないの」と言うと、母はにっこり微笑みながら
「そりゃあんた達にたべさせるためたい」と答えた。
この話は先日長崎に行ったとき、昼食のお給仕をして下さるお檀徒の奥さんから聞かせてもらったもので、母とはその人のお母さんのことです。お釈迦様はある日、お弟子さまに、世の子供はみな親に嚥苦吐甘の恩があると説かれています。それは、まずいもおは自分が嚥み、おいしい物は吐きすて子に与えるという恩です。今のように物が豊かでない時代に育った人なら、食物のことで親のことをしみじみ懐かしく思いだす思い出の一つや二つない人はいないと思います。貧乏というのは、つらいものですが、その貧乏が親子の絆を深めてくれたことを思えば、貧乏もまた有難い。
最近、子育ては苦労が多いからと子育てを忌避する若者が増えているそうです。でも、子供をもてるのなら是非もってほしい。なぜなら人は家庭をもち子供をもつことで一人前になれるからです。人間、幼い間は欲しい物を手に入れることが喜びです。美味しいものを食べることが喜びです。それは自分の望みが叶う喜びであり、幼い間の喜びは、五管を満足させる喜びです。
だが家庭をもち、子供をもつと、喜びの種類が変化してきます。自らの目や舌を喜ばせるより、家族が喜ぶのをみて、自分の喜びとすることができるようになるのです。これは人としてその人が成長したという証ではないかと思います。家庭は自分の成長を促してくれる学校です。苦労が多いからというような観点からのみ見るべきものではないと思います。 |
| (閑院) |
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