平成21年10月19日 NO.254
 山田康文作詞
   ごめんなさいねおかあさん  ぼくが生まれてごめんなさい
   ぼくを背負うかあさんの  細いうなじにぼくはいう
   ぼくさえ生まれなかったら  かあさんのしらがもなかったろうね
   大きくなったこのぼくを  背負って歩く悲しさも
   「かたわな子だね」とふりかえる  つめたい視線に泣くことも
   ぼくさえ生まれてこなかったら
   ありがとうおかあさん  おかあさんがいるかぎり
   ぼくは生きていくのです
   脳性マヒを生きていく  やさしさこそが大切で
   悲しさこそが美しい
   そんな人の生き方を  教えてくれたおかあさん
   おかあさん  あなたがそこにいるかぎり
向野幾代著「お母さん ぼくが生まれてごめんなさい」(扶桑社)より
※山田さんは生まれながらの脳性マヒ児です。
日本人の親子(その51)
一、年長者の言うことに背いてはなりませね
一、年長者には、お辞儀をしなければなりませぬ
一、虚言を言うてはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいじめてはなりませぬ
一、家の外で物を食べてはなりませぬ
一、ならぬことはならぬのです
(会津藩の童子訓)
現代人にとって武士道をいえば、それは封建時代の主従関係を中心とした暗黒時代の精神だと否定されがちであるが、武士道とは果してそれだけのものだろうか。近代から明治にかけて来日した外国人には、はじめてみる日本人を見て驚きの声を記した記録を残している人が多い。その一端を挙げると、天正7年(1579)来日したナポリ出身のキリスト教巡察師ヴァリニャーノは「日本巡察記」の中で、こう述べている。
「日本人はきわめて礼儀正しい。一般の庶民や労働者でも、この国では驚嘆すべき礼節をもって上品に育まれ(中略)、この点においては東洋の他の諸民族のみならず、われらヨーロッパ人よりも優れている」。
また明治維新の前年にイギリスの日本公使館付き武官として来日したフランシス・プリンクトンは、ある日、偶然にも武士同士の“果たし合い”に出くわし、勝った方の武士が刀を鞘に納めた瞬間、先ほどまで敵として戦っていた相手に、自分の羽織を脱いで遺体を覆い、ひざまずいて合掌する姿をみたとき、武士道の高貴さを知って、いい知れぬ感銘を受けた記録を残している。
打算や損得を超えた生き方を愛し、不正や卑劣な行動を自らに禁じ、死をもおそれない勇猛果敢なフェア・プレイ精神を尊重したのが武士道という精神なのである。

会津若松というのは明治維新で悲劇的な最後をむかえた白虎隊のふる里であるが、会津の武士道は「会津魂」とも呼ばれ、格別に強固なものがあった。会津では、同じ町内に住む6才から9才までの武士の子供たちは、10人前後で「什」と呼ばれる組をつくり、毎日順番にいずれかの家に集り、年長の什長がこの童子訓を次々に読みあげ、昨日から今日にかけて、この掟に背いたことがなかったかどうか反省会を行ったという。負けるとわかって義に殉じて花と散っていった白虎隊の若者の会津魂を培ってきた背景には、こんな歴史が秘められていたのである。かつてはそれぞれの家庭で、地域で、形こそちがえ人の在り方、社会性を身につける教育が実践され、それが家族愛、郷土愛を育んできた。家庭教育の不在、地域教育の不在が憂慮され、それに伴って日本の未来に暗雲がたれこめているやに感じられる今日、温故知新で先祖の歴史に学ばねばならぬ秋がきているのではないでしょうか。
(閑院)

先般、詠唱の検定を受けた。前もって練習していても直前になると心は落ち着かないものだ。このように仏教では迷いのあることを有漏といい、逆にないことを無漏という。自信の無いところに迷いは漏れ出てくるもの。ウロウロは有漏有漏。手抜きしたことに反省。

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