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文豪・吉川英治氏の青春時代は苦悩に満ちたものだった。両親に死別した氏は、二十になる前から一家の戸主として三人の弟妹の面倒をみなければならなかった。
ある時のこと、今まで勤務していた商店が倒産して何の貯えもないまま路頭に迷わねばならぬことになった。あいにく時代は不況の最中、探しても職はみつからない。途方にくれて街中をさまよっていると、電柱に貼られた一枚の紙が目についた。それには「丁稚を求む」と書かれてあった。飛び立つ思いで尋ねていくと早速檀那が直々の面接である。いろいろ質問された最後に、こう尋ねられた。
「ところで君は神さま、仏さまをどう思っているかね」
少年にとっては思わぬ質問だった。まさか面接でそんなことを聞かれようとは夢にもおもってなかったからである。
しかし、そんな時には案外正直な答えがでるものである。
「神さま、仏さまといっても、それは目に見えません。目に見えないものなんて、私には信じられません」
すると檀那が言った。
「それは残念だ。私は今まで自分の信条として神仏を信じられないような人には働いてもらったことがないんだよ。君は若いのに幼い弟妹の面倒を見ているという。なかなか真似のできないことだ。働いてもらいたいのだが、今の言葉を聞いてガッカリした。この話は無かったことにしてくれ」
帰れと言われたので帰らねばならないが、すると腹を空かせている弟妹のことが目に浮かんで帰るに帰れない。そこで引き返して檀那の前に土下座して言った。
「檀那さん、神仏は信じられない私です。しかし、私には亡くなった父母がいます。こんな貧乏していますと、時々、ふと投げやりな気持ちになることがあります。そんな時、父母のことを思いだすと、悪事に走ろうとしても走れないのです。神仏のことは全くわからない私ですが、そんなところでお赦しいただいて働かせてもらうことはできないものでしょうか。お願いします」
腕組みしながら聞いていた檀那は、ややあって、
「私の信条に反することだが、今の君の言葉が気に入った。働いてもらうことにしよう」
といってもらって急場をしのぐことができた。 |
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浄土に生まれた者は神足通という不思議な力を仏から授けられると無量寿経にある。それは困った人のところに飛んでいって、その人を救うことのできるという力である。少年の父母は吾子が困った立場にあることを知って浄土からこの世に飛んできて吾子の急場を救ったのである。心の耳目を澄せば、浄土からこの世に飛んで帰ってきて、私に語りかけてくれている父母の姿が目に見え、その言葉が聞こえてくるような気がする。
亡き人は住む所が異なるだけで、死んではいないのである。 |
| (閑院) |
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