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数え年七つの時に実母に死なれた娘は、父から徹底的に仕込まれて育った。ふすまの張り方、豆腐の切り方、おしろいの塗り方、借金の断わり方まで、父の教育は峻厳を極めた。
「女は薪を割っていても、その姿が美しくなければならない」というのが、父の信条だった。日本人の美意識である「いき(粋)」を父は娘にたたきこもうとしたのである。
叱られた時、「では、どうすればいいのですか」と娘が聞くと、「馬鹿者、自分で考えろ」だけで、具体的に教えてくれるということは決してなかった。ある日、彼女が台所に立って炊事をしていると、また、雷が落ちてきた。
「お手伝いのたみさんがやるとゴミが少ないのに、お前がやると多くでる。考えろ」
といつものお叱りである。たまりかねた彼女が、
「では、どうすればいいのですか」
と聞くと、いつものように
「馬鹿者、自分で考えろ」である。
ホトホト困りぬいた彼女が、おたみさんに
「どうしたらゴミが少なくなるのでしょうか」
と、聞いてみた。すると、おたみさんの答えは、こうであった。
「それはね、お嬢さん、一言で言えば愛情の問題だと思いますよ。たとえば大根の煮付けをしようとする時、葉っぱや皮は不要なもののように思われがちですが、しかし、その不要なものが自分の必要な本体を養ってくれたものだと思えば、その取扱は自然に変ってきてゴミは少なくなるものですよ」
この時のお手伝いさんの言葉を思いだして、後年、彼女は、
「同じゴミでも汚いゴミと、さわやかなゴミがある」
と、言っている。 |
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この時の厳父とは名作「五重の塔」などで有名な作家の幸田露伴であり、その娘とは後の女流作家・幸田文さんである。明治37年、姉一人弟一人の間に生まれた文さんは、幼くして母に先立たれた後、名が高いばかりで本は売れず貧乏ばかりしていた父を支えつづけてきた人であった。その親父は、「地震、雷、火事、親父」という典型的な雷親父であったらしいが、最近はこうしたタイプの親父には滅多にお目にかかれなくなった。父も子も、先生も生徒も、横並びの友人感覚こそ至上のものであるという教育のせいであろう。すべてが横並びの人間関係になるに従い、人間に規範意識が薄れてきた。
青少年研究所が世界各国の高校生の規範意識調査をしたが、平成11年度調査結果によると「親に反抗すること」は本人の自由と答えたのは、日本84%、アメリカ16%、「先生に反抗する」ことは、日本79%、アメリカ16%、「学校をズル休みする」ことは、日本65%、アメリカ21%であった。自由を勝手放題にすることだと誤ってうけとっている者が、その道の先進国アメリカより格段に多いことが統計のうえに表れている。
親父の「お叱言」は耳に痛いものだが、その点で、すぐれた文芸評論家であった亀井勝一郎氏は、「神仏の教えに反く点について叱るのが本当に叱るということではなかろうか」(『愛の無常について』)と言っている。傾聴に値する言葉ではなかろうか。
「好語」という仏語がある。「善い言葉、美しい言葉、好ましい言葉、正しい言葉」といったような意味だが、最高の好語は「親のお叱言」であるといった感覚を、親も子も、先生も生徒も失ってしまってはならないと思うのですが、どうでしょうか。 |
「叱る親父の手紙の中に 母の情けの為替かな」 |
という。子を円満な人格に育てるには、厳しさだけでもいけないし、やさしさだけでもいけない。厳しさとやさしさは矛盾だが、子はその矛盾の中に、はじめて育つのではなかろうか。電気もプラスとマイナスという矛盾の中で、はじめて灯る。雨と晴という矛盾の中で、草木ははじめて育つ。車も動く車輪と動かぬ道路という矛盾の中ではじめて目的地に到達できる。人間の身体も入口と出口という矛盾が働いて揃っているから生きていける。
矛盾は人間を活性化させる原動力。 |
(閑院) |