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去る7月12日、二人の老女が朝日、毎日両新聞と朝日の本多勝一記者の三者を相手に民事訴訟をおこした。一人は向井智恵子、63才。もう一人は野田マサ、75才。二人は「南京大虐殺百人斬り」の当事者として昭和22年、中国の法廷で戦犯として銃殺刑に処せられた向井敏明少尉(当時26才)と野田毅少尉(同25才)の娘と妹である。
昭和12年12月、南京が陥落した時におきたとされる「大虐殺」は疑問点の多い事件である。一般に三十万人殺したと言われているが、当時の全人口は二十万人だったと推定されている。また、当時、南京滞在の外国人で、そんなホロコースト(みな殺し)があったことなど聞いたことがないという証言も残されている。専門家の間でも疑問の多い未解決な事件なのである。「百人斬り」は、この大虐殺事件の象徴として語られている。
二人の少尉は、東京日々新聞の浅海一男記者(後に毎日新聞労組委員長、故人)が書いた記事が発端となって処刑された。その生地は、二人の少尉が刀の切味をためすため競って切ったと書かれてあった。当時の新聞記事は事実の確認などは二の次で、「戦意高揚」のためにかかれたものが多かった。おかげで二人の少尉は、日本では英雄になった。それが災いしたのである。この「事件」は昭和46年、本多勝一記者が朝日新聞に掲載した「中国の旅」ど題するルポの中で、日本兵による残虐行為の一端として断罪したことから世間に広く知られるようになった。それ以来二人の少尉の家族は筆舌に尽くせぬ苦労を味わった。千恵子さんは夫から、「お前の家族は殺人鬼だ」と言われるようになり、それがもとで離婚してしまった。マサさんも「殺人鬼の妹」として白眼視されつづけてきた。
今回の訴訟は、「ホラ話」を書いたと思われる記事によって肉親の名誉が傷つけられ、家族まで故なき差別を受けつづけてきたことへの抗議なのである。二人の老い先は短い。裁判が今後どのようにすすむか予断をゆるさないが、二人が命ある間に真実が明らかになることを願ってやまない。
二人の老女が朝日、毎日を相手に訴訟にふみきった姿は、小さな蟻が巨象に立ち向かう姿を想像させる。無謀とも言えるような行為に二人を立ち上がらせたものは何であろうか。それは一言にして言えば、肉親に対する家族愛ではないかと思う。曽我ひとみさんが家族に再会できた時、日本中が湧いた。あれもまた、ひとみさんの家族愛に対する共感がそうさせたのである。
最近、大事なことは「自己実現」であって家族は邪魔だと考える人がいる。有名代議士で弁護士でもある女性が、いつぞや、「私は子供が18才になったら家族解散式をやってみなバラバラになるのが理想だ」と広言していた。「自己実現」とは簡単に言えば自由気ままに振舞うことだが、家族のために自己を犠牲にするような人生も価値あるものではないかと思う。
家族愛こそ「人間の最後の砦」だと思うが、どうだろうか。 |
(住職) |
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